「おすぎとピーコと川の字で寝た」 久米宏さんを「カープファン」にさせた親友は伝説のDJ 無名だったユーミン、佐野元春らを発掘

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久米さんの歴史的中継

 やがて永さんは久米さんに同番組の中継コーナーを持たせた。タイトルは「久米宏のなんでも中継!」。前代未聞の内容で、その後の久米さんのアナ人生を暗示していた。

 成人向け映画の撮影現場からの中継があった。隠しマイクを体に仕込んでキャバレーに潜入したことも。なにより大反響となったのは久米さんがホームレスに変装し、銀座から中継したときだ。

 久米さんはよれよれの格好をして、三越前にゴザを敷いて座り込んだ。通行人からよけられ、商店には入れてもらえない。次に久米さんは交番に行き、「トイレを貸してください」と頼む。

 ところが警察官は「ダメダメ、汚ねぇ! 向こう行け!」と叫んだ。これを聴いていた大勢のリスナーが激怒する「警察官が人を差別するのか!」。抗議の電話が警視庁に殺到した。

 その後について久米さんはこう書いている。「TBSは警視庁記者クラブへの『出入り禁止』の処分を食らった」(『久米宏です。ニュースステーションは--』)。それしか書いていない。どうして交番に行ったのかも明かしていない。

 警察官が分け隔てなく市民に接するかどうかを見たかったのではないか。権力の実像を暴こうとしたのは「ニュースステーション」の精神と同じである。

 同番組の久米さんのスタイルには批判もあった。「ニュースをバラエティ化した」と。そうだろうか。そもそも正しいニュース番組なんて、決まっていない。久米さんは後にこう振り返っている。「日本のテレビは報道番組がどうあるべきかについて、まともな議論をしてこなかった。ニュース番組は新聞のなぞりでテレビ的な工夫がない」(『久米宏です。ニュースステーションは--』)

 150年以上の歴史がある新聞すら少しずつだが、変わり続けている。「ニュースステーション」の放送開始時点でニュース番組は誕生から30年余しか過ぎてなかった。変わらないはずがない。

「ニュースステーション」開始の1年前に始まったフジテレビの夕方のニュース番組「FNNスーパータイム」(1984年)は、アタック音(ニュースが切り替わる時、メリハリを付けるために流す効果音)を入れた。他局は嘲笑した。

 だが、見やすさと分かりやすさを追求した「スーパータイム」はたちまち夕方のニュース番組でトップになる。慌てて他局もアタック音を使い始めた。ニュース番組は進化し続けている。

 林さんと最後に会ったのは2001年だった。管理職になっていた林さんにアナ生活の総括を聞かせてもらおうと思い、TBSに電話した。だが、相手は重い声で「いない」。ほどなくして林さんから電話があった。

「いま入院中なんだよ」

 取材は白紙にしましょうと告げたが、林さんは「来てほしい」という。東京・白金の大学病院だった。

 病室で本人から病名を聞いた。病院に呼ばれたくらいなので、軽い病気かと思ったら、違った。「肝臓がんなんですよ」。言葉がなかった。

 その後、林さんにはアナ生活で一番思い出深い出来事は何かと聞いた。答えは「おすぎと(故)ピーコと川の字で寝たこと」だった。

 アーティストの渡辺美里(59)たちを発掘したことやATG映画と小劇場のブームを起こしたことなど勲章が山ほどあるのだが、最後までシャイだった。やはり自慢めいた話を嫌った。約1年後、林さんは他界する。

 久米さんが「ラジなん」で口に出し、『久米宏です。ニュースステーションは--』にも書いている言葉がある。「生き方」だ。アナは招く人物の生き方を知らせるのが仕事。アナ自身も自分の生き方を伝えるものだという。

 2人が観る側、聴く側を惹き付けたのも自分たちの生き方が魅力的だったからだろう。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部

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