プロレスラー「ウルフアロン」が見せた無限の輝き…“五輪だけがゴールではない”ことを示した“真の功績”とは
東京五輪柔道男子100キロ超級金メダリストのプロレスデビュー戦となった1月4日。東京ドームのステージに、ウルフアロン(29)はお馴染みの柔道着姿で登場した。だが柔道着をすぐに脱ぎ捨て、黒のトランクス姿に変貌し、プロレスラーへの転身を無言かつ鮮烈に宣言してみせた。トレードマークの長髪は短く刈り込まれ、堂々とリングに歩む全身に、若々しい精悍さがみなぎっていた。【取材・文=小林信也(作家・スポーツライター)】
【写真】柔道金メダリスト・ウルフアロンがリングで魅せる華麗な柔道技の数々
ニュー・ヒーローが現れた
対戦相手は、“理不尽大王”と呼ばれる極悪軍団の長・EVIL。前日の記者会見でEVILが「オレに負けたら坊主、それと柔道着の禁止。いいな。その覚悟はあるのか」と挑発した。逡巡するウルフにEVILが「煮え切らねえ野郎だなあ、チキンだ、おい、やれるのかやれないのか」とけしかけるとウルフは短く「やれます」と答えた。その時点ではウルフが極悪EVILに圧倒され、柔道にはないプロレスの洗礼を受けて萎縮したようにも見えた。が、内心ウルフは余裕綽綽だったことが翌日にわかった。なぜなら、「負ける気はない」上に、坊主刈りにすること、柔道着を捨てることは戦う前から決意していたからだ。
ウルフのプロレス転向を知った時、私は驚いた。てっきりマルチ・タレントとして活躍するものと想像していたからだ。彼のコメント力、会話力はすでに定評がある。柔道選手としては稀有な頭の回転の速さと見識の高さ、ユーモアのセンス。テレビ界にとっては待望の逸材。アッという間にテレビでウルフを見る機会は増えた。
ところが、ウルフはそのステージでは満足しなかった。まさかプロレスとは。そう思ったのは、有名柔道家のプロレス転向が、これまで幸せな結末を迎えた印象が薄かったからだ。もちろん、坂口征二をはじめ、小川直也ら輝いたレスラーは大勢いる。佐々木健介、武藤敬司、橋本真也らも柔道出身だ。五輪の金メダリストと言えば、アントン・ヘーシンクを思いだす。柔道界では圧倒的な強さを誇ったヘーシンクが、プロレスで必ずしもあの威厳を保ちきれなかった哀しみを私は思春期に経験した。そんな苦い思い出のせいかもしれない。
しかし、ウルフアロンのデビュー戦を見て、またその前後に視聴したバラエティ番組での彼の好感度抜群のパフォーマンスぶりなどを総合して、「これはとてつもないニュー・ヒーローが現れた」「ウルフアロンが、自分自身を新たな存在へと押し上げた」と静かな昂奮を覚えた。柔道の金メダリストという過去の遺産ではなく、「プロレスラー」ウルフアロンの輝く未来は無限に広がるように感じたからだ。
専門家が見たウルフアロンの可能性
アントニオ猪木とも違う、ジャイアント馬場とは当然違う、これまで日本にはいなかった新しいプロレスのスター像をウルフアロンが拓く期待感。映画の主演を務め、人気シリーズで当たり役に出会う可能性もあるのではないか。思い浮かぶのは、私自身大好きな映画「トランスポーター」のジェイソン・ステイサム。ハードボイルドな役柄は丸刈りになったウルフアロンと重なる。そういえば、ジェイソンもイギリス代表の飛び込み選手だった。逆に、笑いにあふれたオモシロ哀しい主人公のキャラクターを宮藤官九郎に作ってもらえたら楽しみだ、などと夢がふくらむ。リアルなタイガーマスクとして、悩める子どもたち、若者たち、いや大人たちまでも癒やし激励する存在にウルフアロンならなってくれるかもしれない。
ウルフアロンは、限りなく社会的な影響力を持つ人物になる可能性がある。単なる柔道金メダリストでもなく、単なるプロレスラーにもとどまらないだろう。そこに無限の可能性を感じる。
面白いのは、世間では「スポーツ界で最高の価値がある」と何となく了解されているオリンピックの金メダルが、実は過程でしかなく、究極のゴールでないことをウルフアロンがあっさりと体現したことだ。試合後の会見でウルフアロンは言った。
「これだけ大勢の人の中で、人が見てくれている中で試合をしたのは、僕の人生の中では初めてで、とても大きな経験になりましたし、今日だけでなく、これからもずっとこれだけの人数に見られながらプロレスがしたいと思いました」
オリンピックには特別な価値と重さがある。しかし、オリンピックを卒業してみれば、オリンピックを超える大きな舞台がプロレスの世界にはあった。
専門家がウルフアロンのデビュー戦をどう見たのか? 将来性をどう感じたかを知りたくて、長くプロレスの世界に携わっておられる甘井もとゆきさんに話を聞いた。甘井さんはアントニオ猪木のマネジャーを務め、業界では誰もが知る存在だ。
「柔道から転向して最も成功したプロレスラーといったら、武藤敬司さんが筆頭だと思います。武藤さんは柔道の実績も素質もかなり高かったそうです。後に金メダリストになった選手たちと一緒に稽古していたレベルです。五輪の代表候補にも選ばれそうな勢いで、『このままだとプロレスに入るタイミングを逸しちゃう』と焦って柔道をやめプロレスに入ったと聞いたことがあります。それくらい柔道の実力があり、運動神経もよかったから、あれだけ多彩な活躍ができた。ウルフアロンは、武藤さんに匹敵するかそれ以上の身体能力とプロレスへの対応力を持っているとデビュー戦を見て感じました」
確かに、善玉からヒール(悪役)まで変幻自在に演じ分け、グレート・ムタとして本場アメリカでも絶大な人気を誇った。ウルフアロンならそうした無限の展開もできるように感じる。そう言えば、武藤敬司もまだ若い24歳の時、映画「光る女」で主役を演じ、力道山以来と話題になった。
「試合を見ていて、輪島さんのデビュー戦を思いだしました」、甘井さんは言った。柔道ではないが、相撲界の横綱という頂点からプロレスに転身した輪島の国内デビュー戦の相手もまた極悪タイガー・ジェット・シンだった。場所は輪島の故郷・七尾総合市民体育館。緊張の面持ちでリングに立つ輪島の背後からシンが殴りかかり、サーベル攻撃を仕掛けた。いきなりの洗礼。輪島はひるむことなく敢然と戦い、最後は両者リングアウトながらリング上で力強く拳を上げた輪島を満員の大観衆が興奮気味に讃えた。
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