TRFのDJ KOO、人気絶頂期に受けた批判に対する“本音”や、30年以上メンバー固定の「バランスのいいグループ」でい続ける秘訣を明かす

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 1990年代にTRF(96年までtrf)のDJ兼リーダーとして高い人気を誇り、近年ではバラエティタレントとしても活動しているDJ KOO。インタビュー第1弾では、CDデビューから1年ほどで大ブレイクを果たしたことや、小室哲哉との出会いについて語ってもらったが、第2弾では、ミリオンセラーを連発していた時期や小室哲哉プロデュースを離れたヒット曲について話を伺った。

批判も受けたが「その何十倍も嬉しいことが多かった」

 trfは、94年5月の「survival dAnce~no no cry more~」から95年3月の「Overnight Sensation~時代はあなたに委ねてる~」までのシングルが5作連続でCDがミリオンセラーとなった。この頃、テレビや雑誌などで実施された『恋人にしたい男性の職業ランキング』でDJがトップに躍り出るほどになったのは、日焼けした肌とドレッドヘアをトレードマークとしていたDJ KOOの存在も決して小さくないはずだ。

 そのことを本人に尋ねると、「いやいや、そんなことはないですよ~!」と謙遜(?)しつつ、その一方で、当時のテレビ番組での苦悩を語った。

「最初のころ、『曲が流れている最中だというのに、ステージ後方で首を傾けてヘッドホンで曲を聴いているやつは、いったい何なんだ!!』といった声を散々聞かされました。実際、テレビで演奏する段階では、DJとしての役割は全部終わっているので、やることがないんですよ。

 そんな時、小室さんから『1時間前後で、フロアを選曲でつないで盛り上げていくのがDJの役割だと思うけれど、trfの時には、そのパートを3分間だと思ってアピールしてくれないかな』と言われて、派手に動いたり、腕をあげたり、今までの自分がやっていないことに挑戦していきました。

 その当時はほとんどいなかった、曲の途中でMCを入れるというスタイルも小室さんのアドバイスから始めました。今ではダンスミュージックのアクセントになっているかな、と自分でも誇らしく思っています」

 そうやって試行錯誤する中で、DJ KOOは自分への批判をどのようにとらえていたのだろうか。

「trfのスタイルは、誰もやっていなかったことなので、批判は仕方がないと思っていましたし、そのネガティブな要素の何十倍も、嬉しいことがありました。trfのDJというポジションで、さまざまな世界に飛び出すことができたんですから。

 例えば、ロンドンのPWLという伝統的なダンスミュージックのレコーディング・スタジオに行けたり、同じロンドンのアビーロード(スタジオ)という、ロック少年だった自分にとっては夢のまた夢だったスタジオで音楽が作れたりもしました。90年代は東京ドームでもライブが出来たし、ミュージックビデオの撮影ではメキシコやオーストラリアにも行けました。本当にありがたい環境で音楽をつくってこられたという喜びのほうが、圧倒的に大きいですね」

日本レコード大賞受賞でJ-POPの頂点に。心境は?

 DJ KOOは、小室が作り上げた楽曲を盛り上げるという役割が大きいように思われがちだが、話を聞いていると、実際のレコーディングにも深く携わっていたことがわかる。

「レコーディングでは、小室さんが投げかけたことに僕が応えて形にすることが基本でしたね。小室さんの作った仮歌を僕が仕上げていくのですが、仮歌なので、歌詞がメロディーにキッチリはまっているわけではない。それをどういう風に落としこんでいくかという作業を、ボーカルのYU-KIと僕とでたくさん時間をかけて完成させていきました。

 特に、Spotify再生回数ランキング14位にある『WORLD GROOVE』は難しかった記憶があります。言葉のニュアンスを大事にしたり、メインとコーラスがハモる場所を考えたりして、とても意味のある作業でした。今でもライブの最後にやるくらい大事な歌で、trfのアンセムになっていると思いますし、小室さんと何度も話し合って作り上げた甲斐がありました」

 この「WORLD GROOVE」は7分近いミディアム調のナンバーで、愛のつながりや未来への希望をテーマに歌詞を書きつつ、南の島を想起させる悠久のメロディーも取り入れたユニークな楽曲。南の島で男女が出会うという話から、時代と共に新たなリアリティが生まれるという深いメッセージへと変わっていく歌詞、パートごとにリズムやハモリ方が変わる曲想など、確かに1曲に収めるのが大変だったという発言にも納得がいく。

 95年は、3枚のシングル「CRAZY GONNA CRAZY」「masquerade」「Overnight Sensation~時代はあなたに委ねてる~」と2枚のアルバム『dAnce to positive』『BRAND NEW TOMORROW』がいずれもミリオンセラー、その年末に日本レコード大賞受賞とJ-POPの頂点を極めた。

「その年のヒットから、その後に第10回日本ゴールドディスク大賞もいただきましたね。この頃は、trfの活動の重みというか、大袈裟かもしれませんが、日本の音楽業界の権威を担っているのだと実感しました」

 この後、96年にtrfは小文字から大文字のTRFに表記を変更しているが、それは心機一転といった意味だったのだろうか。

「いや……単純に、小室さんの気まぐれというか、フィーリングだと思いますよ。小室さんから『今度から大文字にするからね』って、突然言われて。そういうのも天才プロデューサーのカンなんでしょうね。その頃から、小室さんはglobeの方で忙しくなり、TRFのプロデュースは一旦卒業となりましたが、その後も『songnation』(01年~02年に実施された音楽プロジェクト)でご一緒するなど、小室さんとの付き合いはずっと続いています」

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