【ばけばけ】“婿殿”小泉八雲の高収入で極貧から脱出…裕福に暮らしたセツの家族
貧困生活から抜け出したセツの家族
史実では、セツの養父母である稲垣金十郎とトミ、養祖父の万右衛門(「ばけばけ」で小日向文世が演じる勘右衛門のモデル)は、「ばけばけ」と違って娘夫妻とは同居せず、「小泉八雲旧居」の近くに住んだ。とはいえ、詐欺に遭って以来の貧困生活からは、セツの結婚を機に抜け出したと思われる。
また、セツの実母のチエも、夫妻が「小泉八雲旧居」に引っ越すのに先立ち、ハーンの出資でその近くに小さな家を借り、家財道具もそろえてもらって、あたらしい生活をはじめることができた。
しかし、この「小泉八雲旧居」での生活は、長く続かなかった。引っ越してから5カ月も経たずに、ハーンは熊本の第五高等学校(現熊本大学)に引き抜かれ、同年11月に赴任した。ハーン夫妻と女中、そして車夫の4人で、中国山地を越えて熊本に向かったという。
そして、現在も熊本市中央区に「小泉八雲熊本旧居」として移築保存されている屋敷に住んだ。このときは少し遅れて金十郎とトミ、万右衛門も熊本にやってきて、ハーン夫妻と同居することになった。ハーンの月給は松江時代の倍の200円に跳ね上がり、それは現在の700万から800万円に相当すると思われるので、セツの家族と同居しても、かなり余裕があったはずだ。
実際、熊本ではほかに3人の女中を雇い、寄食する者も後を絶たないなど、かなりの大所帯での暮らしになっていた。それをこなせるだけの経済的余裕があったということだ。
ただし、セツの家族もただ養われるだけではなかった。長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)には次のような記述がある。「当時四十八歳のトミは、無学で迷信にも無批判な女であったが、器用で律儀な働き者で、その無私そのものの心は、ハーンに敬意と愛情を抱かせる。以後は裏方として家の中の一切を預かり、ハーンの身の回りと執筆の世話に、セツが専念することを可能にした」。
セツが長男の一雄を出産してからは、トミはその面倒もよく見た。ハーンの仕事は、セツの家族と同居してこそはかどった、ということだろう。
大いなる高給取りの妻
熊本で2年をすごしたのち、ハーン夫妻は明治27年(1894)10月から2年近く、神戸で暮らした。それにあたっては、万右衛門は熊本から松江に帰ったが、金十郎とトミは相変わらず夫妻と同居した。続いて、明治29年(1896)からは夫妻は東京で暮らし、そこにも金十郎とトミは同行した。
東京大学で教えたハーンの月給はなんと400円で、いまの貨幣価値で千数百万円になるだろう。現在の大学教授が憤慨するほどの超高給で、書いた本の印税も入ったから、かなり裕福だったと思われる。その間、セツは松江にいる実母のチエにも、ずっと仕送りを続けていた。チエはそのたびにお礼の手紙をセツに送っており、東京に移ったときに受けとった手紙には、こんな文言もあった。
「いながきどの、申なされしにわとふ月から三百に月けふがなりしと申しなられして、ゆめかとばかりよろこび申し」
稲垣金十郎殿が申されたことには、今月から月給が300円になったとのことで(註・実際には400円)、夢のようだと思ってよろこんでいる、という内容である。また、チエは万右衛門に、まるで100石取りの家の養女が1200石取りの家の奥方になったようなものだ、と伝えたという。
セツの実家も養家も、明治期の士族の没落を見事になぞって貧苦をきわめた。それだけに、セツが大いなる「高給取り」の妻になったことは、転落した家が華々しく再興したようにうれしかったのだろう。







