「“私か、それ以外か”解散」 高市首相は「中道」をどこまでネチネチ攻められるか
ダイレクトに語りかけた
高市早苗首相(自民党総裁)は19日、官邸で記者会見を開き、23日召集の通常国会冒頭に衆院を解散する意向を表明した。立憲民主党と公明党が合流してできる中道改革連合(以下、中道)についても少し言及する場面があったが、高市氏やその周辺は今回の動きをどう見ていたのか。
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「高市氏は“首相としての進退をかける”と話していて、良くも悪くもインパクトはありましたね。キャッチフレーズのようなものもあえてつけず、でした。『“私か、それ以外か”解散』とでも言いましょうか。ちょっとニュアンスは違いますが、小泉純一郎首相による郵政解散のようにダイレクトで力強く国民に語りかけようとする印象を受けました」
と、政治部デスク。自民党と日本維新の会とで過半数を目指すとのことだが、解散そのものへの疑問の声は小さくない。
実質的には自民で単独過半数
「状況はなかなか見えてきませんが、実質的には自民で単独過半数を獲得できるか否かに注目が集まると見ています。自民は前回の衆院選で負けすぎたのでその揺り戻しも当然あります。その点で高市氏はラッキーです」(同)
会見直前に中道が結成されることになり、高市氏は側近と共にそのスタンスを随分研究していた。
「結果的に“わずか半年前の参院選で戦った相手である立憲に所属していた方をかつての友党が支援するということだから、この点は疑問を感じざるを得ない”“少し寂しい気持ちもするが、これが現実”と指摘する形に落ち着きました。もう少し細かく問題点をピックアップして攻撃する可能性もあるのかなと思っていましたが、そこまでではなかったですね。余裕すら感じました。中道の成り立ちを踏まえてそこまでの脅威に感じていないのかもしれません」(同)
1973年のある政権構想
中道は公明党とその支持母体・創価学会が極めて大切にしてきたワードで原点に近いものだ。自民との26年にわたる蜜月関係の印象が強く、それ以前の動きにこれまであまり光が当たってこなかったが、「公明は今回、中道というワードにこだわった」(同)点から、公明・学会内での“原点回帰”のスタンスがうかがえる。ここでその歴史をざっと振り返っておこう。
創価学会の別動隊として公明が発足したのは1964年。衆院選に進出したのは1967年で、その時からすでに将来の与党入りを目標にしていた。
1972年の衆院選では議席を大きく減らし、共産党の後塵を拝す結果に。そこから生まれたのが反自民を打ち出した野党初の連合政権構想で「中道革新連合政権構想」と名付けられた。これが1973年のことである。この構想は、社会党、民社党、そして公明3党の連合政権を目指す基盤となるはずで、その後も形を変えながらも継続されたが、1980年の衆参同日選で公明を含む野党は惨敗。その結果、公明・学会は保守中道路線、わかりやすく言うと自民への接近を図り始めた。
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