共産党「志位和夫氏」の“不出馬”表明に元党幹部は「落選を恐れての逃走」と痛烈批判 …委員長の在位23年間で“議席半減”の罪と罰

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39議席が7議席

 衆議院で共産党の議席が“右肩下がり”になっていることは総選挙の歴史を振り返れば明白だ。担当記者が言う。

「意外に思われるかもしれませんが、50年代や60年代の衆議院で共産党の議席数は一桁が当たり前でした。例えば1955年の衆院選では鳩山一郎氏が首相で、共産党が獲得した議席は2議席です。また1960年の衆院選は池田勇人氏が首相で、共産党は3議席──という具合です。共産党が大幅な議員増を達成したのは1972年の衆院選で、この時の首相は田中角栄氏でした。共産党は金権政治批判の受け皿として機能し、38議席と大躍進を果たしたのです」

 ところが90年代に入ると、平均して20議席台と減少してしまう。志位氏が党委員長に就任したのは2000年。03年に首相だった小泉純一郎氏が総選挙を実施すると、共産党は20議席が9議席と一桁台に落ち込んだ。

 現在は、さらに減って8議席だ。なおかつ志位氏が出馬しないため、現職7議席で総選挙に挑むことになる。先の筆坂氏が続ける。

「私は共産党の党勢衰退を招いた“戦犯”は志位さんだけでなく、不破哲三さんの名も挙げる必要があると思っています。共産党の国会議員は減る一方で、実のところ80年代から党勢衰退は誰の目にも明らかでした。ところが不破さんと志位さんは現場の実情を無視します。とにかく口を開けば『党員を増やせ、「しんぶん赤旗」の購読者を増やせ』ばかりです。この結果、何が起きたのかと言えば党員の疲弊です。現場が疲れ切っては党勢の立て直しなどできるはずもありません。にもかかわらず、不破さんも志位さんも責任を取って辞めようとはしませんでした。普通の組織、普通の民間企業なら考えられない事態だと言えるでしょう」

 第2回【党首公選を訴えた“同志”を除名…衆院選“不出馬”表明の「志位和夫氏」 ソフトなイメージを一変させた「朝日に指図されるいわれはない」発言】では、不破氏や志位氏の独裁を招いた「民主集中性」の問題と、党の現場から真っ当な批判が行われると、何と志位氏は言論を封じたという大問題についてお伝えする──。

デイリー新潮編集部

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