90年代に変造テレカや違法薬物を売る“イラン人グループ”が公園を埋め尽くした理由…最高視聴率62.9%「日本の国民的ドラマ」がイランで大ヒットした影響も

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 昨年11月に摘発されたイラン人の薬物密売組織――。警察が押収したのは、アメコミやゲームのキャラクターが型取りされたシャブ玉(覚醒剤錠剤)約5万錠に、覚醒剤約40キロ、アヘン約10キロ、コカイン数キロといった大量の違法薬物だった。逮捕された彼らは根城にしていた静岡県富士市のヤードで、薬物の密輸・製造・密売に手を染めていたとみられる。【瀬戸晴海/元厚生労働省麻薬取締部部長】

 第1回【“シャブ玉”5万錠に“アヘン”10キロ…「イラン人グループ」が違法薬物を“大量密造”の衝撃 「上野公園で変造テレカを売っていたイラン人とは比べ物にならない」】からの続き。

 イラン人と薬物と言えば、1990年代の光景を思い出す読者もいるだろう。東京では、上野公園周辺を中心に、イラン人グループが変造テレホンカード(以下、変造テレカ)や違法薬物を密売し、社会問題となった。それにしても、どうしてその時期にイラン人による薬物密売が急増したのか。そして彼らはどのように組織化して行ったのか。

 イラン人労働者の出稼ぎ先といえば、アジアではほぼ日本に集中していた。そもそも産油国であるイランは労働者を受け入れる立場にあった。ところが、1980年に勃発したイラン・イラク戦争が88年(昭和63年)に休戦となると、戦後の混乱や不景気による若者の就職難から、イラン人男性の「出稼ぎ」が始まる。問題はその出稼ぎ先が「どうして日本なのか」という点である。筆者が現役のマトリ捜査官時代に分析した範囲では、次のような要素が影響している。

(1)日本とイランは74年にビザ相互免除協定を締結しており、日本への入国に際してビザが必要なかった。

(2)日本の出入国管理政策は「ジャパゆきさん」の例を見ても穏やかで、日本の賃金及び生活水準はイランと比較して数段高い。日本は好景気で仕事が溢れ、治安も良好との情報が拡散していた。
※「ジャパゆきさん」とは、1980年代頃東南アジア各国から日本へ出稼ぎに来ていた女性たちを指す造語。

(3)NHKの朝ドラ「おしん」がイランでも大ヒットして日本に好印象を持っていた。

「ポケベルが鳴らなくて」のヒットでテレカの需要が急増

 法務省によれば、88年に日本に入国したイラン人は1万4693人だったが、91年には4万7976人まで増加している。92年にビザの相互免除規定が終了したことで入国者は減少して行ったが、不法滞在者は92年がピークで4万人に達している。

 彼らの多くは、日本に入国すると専ら建設現場の仕事にありつき、日々汗を流していた。ビザが規制されると、その多くは強制退去処分を受ける。他方、日本人と結婚したり、雇用主が真面目な仕事ぶりに感心して在留資格の取得を支援したりするケースもあり、合法的に日本社会で生きていく者も少なからず現れた。

 先述した通り、現在の在日イラン人に薬物犯罪に関係していた者は極めて少なく、真面目な正規就労者やその二世が大半を占めている。そのことを日本人はもっと知っておくべきである。

 さて、日本に順応して生活基盤を築くイラン人がいる一方、92年前後のバブル崩壊後、景気が急激に低迷して就労の機会が減ると、不法滞在中のイラン人の一部が不良化し始めた。まずは、暴力団の周辺者から手に入れた変造テレカを街頭販売するようになる。これを転機として、出身地別の小規模犯罪グループが形成され、それを基盤に新たな薬物犯罪組織が誕生することになる。既にビザ免除協定が終了しているため、この時期に入国してきたイラン人はほとんどが密入国者であり、偽造パスポートで欧米人になりすますケースも多かった。

 そんな彼らが集まった上野公園界隈では、変造テレカの販売が盛況を極めていた。時代はポケットベルが大ブレークしている真っ只中。女子高生がまるで電卓でも叩くように公衆電話のボタンをパチパチと弾いていた。93年にはテレビドラマ「ポケベルが鳴らなくて」がヒットし、ポケットベルは若者の必須アイテムになった。彼らには1050円分がたった100円で買える変造テレカは魅力的だったのだろう。ちなみに、この時期、警察は上野周辺の密売グループや不法滞在者から変造テレカ100万枚以上を押収している。

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