高田漣、“年の離れたレジェンドたち”に教わったギターと耳 父・渡の縁が音楽の道を開いた
17歳の夏に急遽レコーディングしてデビュー
年の離れたレジェンドとの会話で「音楽は新旧気にせず自分の好きなものを聴けばよい」「音楽をやるうえでキャリアや年齢は関係ない」と気付いた。高校に入学すると、2年生の夏に突然レコーディングの機会が訪れた。父と同学年である西岡恭蔵やその仲間が集うコンサートが神戸・六甲山のふもとで行われたときのことだ。
「夏休みを母の故郷である京都で1カ月ぐらい過ごしていたので、六甲山でライブがあると聞いて顔を出したんです。そこでゾウさん(西岡の愛称)に『漣、弾いてるらしいな。今度大阪のライブに遊びに来な』と声を掛けられたんです。大阪のライブ終演後にゾウさんが『漣、弾いてみな』と言うので弾いたんです。そうしたらゾウさんは『エエな~、エエな~』とニコニコしている。後から思えばあれはオーディションだったんですね。『来月、東京でレコーディングあるけど、やる気あるか』と聞かれて『やりたいです』と応えました。そうすると京都の家に、楽譜とゾウさんが歌った仮歌入りのテープが送られてきました。『練習しときや』と手紙が添えられて」
夏休みが終わってすぐの9月、スタジオ入りしてレコーディングが行われた。西岡が「KYOZO & BUN」名義で自主レーベルから1990年に出した「トラベリン'・バンド」で高田のギターは世に出た。
「当時は怖いもの知らずだったんですよね。父の息子だったんで周りの皆さんが面白がってくれたおかげで体裁が整っているんですが、今聴くと聴けたものではないですよ(苦笑)。皆さんは励ましてくれたんですが、まだメディアはテープだったので修正は難しいし、エンジニアのかたは大変だったと思います。その中で僕の面白い部分を引き出してもらったというか。気が付いたら『お疲れさん』という声が聞こえて。ゾウさんに茶封筒をもらい、中に3万円も入っていました。ゾウさんに『名前と金額、書いて』と言われて(受領書に)30000と書こうとすると『それは3並びで書くんやで』と源泉徴収のことも教えてもらいました。音楽で初めてもらったギャラで、母にドーナツを買って帰ったのを覚えています」
このまま音楽の道を邁進するのかと思いきや、プロのミュージシャンになる気はさらさらなく、「どこかバイト感覚だった」とも。この後、大学に進学したが、今日に続く道を歩むまでにはまだ時間を要することになる。
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音楽の仕事でギャラを初めてもらった高田。第2回【高田漣、就職氷河期で「ひとまず音楽を仕事に」 父は激怒の電話1時間半も…最後は「まあ頑張れや」】では、音楽の道に進むきっかけやソロデビュー、2025年に上梓した小説のことなどについて語っている。











