【ばけばけ】電話NG、英語も学ばせない… 偏屈「小泉八雲」を妻のセツはどうあつかったか
「だめです、地獄です」
北堀町の武家屋敷に引っ越して間もなく、伯耆国(鳥取県西部)に旅行している。温泉の宿屋に1週間滞在する予定だったが、着いてみると、大勢の人が酒を呑んで騒いでいた。
「それを見ると、すぐ私の袂を引いて『だめです、地獄です、一秒でさえもいけません』と申しまして、宿の者共が『よくいらっしゃいました。さあこちらへ』と案内するのに『好みません』というのですぐにそこ去りました」(『思ひ出の記』より)
セツは「嫌いとなると少しも我慢致しません」と補足している。
明治29年(1896)に東京に引っ越してからのこと。富久町(新宿区富久町)の瘤寺という寺の横の借家に住んでいたときのこと。いつも散歩していた瘤寺の境内で、大きな杉の木が3本、切り倒されているのをハーンが見つめていたという。
「『何故、この樹切りました』『今このお寺、少し貧乏です。金欲しいのであろうと思います』『ああ、何故私に申しません。少し金やる、むつかしくないです。私樹切るよりいかにいかに喜ぶでした。この樹幾年、この山に生きるでしたろう、小さいあの芽から』といって大変な失望でした。『今あの坊さん、少し嫌いとなりました(中略)』と、さも一大事のように、すごすごと寺の門を下りて宅に帰りました」(同)
それ以降、瘤寺にはあまり行かなくなったという。
熱心になりすぎる余り
そんな具合だから、家にいるときも頑固一徹だった。自分が勉強する時間、執筆する時間が大事で、その集中を切らされることを極端に嫌ったという。
「ヘルンは面倒なおつき合いを一切避けていまして、立派な方が訪ねて参られましても、『時間を持ちませんから、お断りいたします』と申し上げるようにと、いつも申すのでございます。(中略)玄関にお客がありますと、第一番に書生や女中が大弱りに弱りました。/人に会ったり、人を訪ねたりするような時間はもたぬ、といっていましたが、そのような交際の事ばかりでなく、自分の勉強を妨げたりこわしたりするような事から、一切離れて潔癖者のようでございました」(同)
そして、一人の時間を大切にし、一人の世界に浸ったという。
「交際を致しませぬのも、偏人のようであったのも、皆美しいとか面白いとかいう事をあまり大切に致しすぎる程に好みますからでした。このために、独りで泣いたり怒ったり喜んだりして全く気ちがいのようにも時々見えたのです。ただこんな想像の世界に住んで書くのが何よりの楽しみでした」(同)
一緒に暮らしはじめたころはセツも戸惑い、ハーンは「気が違うのではないかと心配致しまして」、『ばけばけ』の錦織友一(吉沢亮)のモデルの西田千太郎に相談したという。だが次第に、「あまり深く熱心になり過ぎるからである」とわかってきたという。だから東京時代、富久町から西大久保の広い家に移ってからは、
「いつでもコットリと音もしない静かな世界にしておきました。それでも箪笥を開ける音で、私の考えをこわしました、などと申しますから、引き出し一つ開けるにも、そうっと静かに音のしないようにしていました」(同)
だが、そんなときは「あの美しいシャボン玉をこわさぬようにと思いました。そう思うから叱られても腹も立ちませんでした」と、セツは述べている。夫をシャボン玉だと思う、という生活の知恵である。
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