コンプラ時代になぜ“陰謀論”を扱えるのか 「やりすぎ都市伝説」が芸人を使い、ギリギリを攻め続けられるワケ

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芸人がプレゼンター

 さらに重要なのは、専門家や研究者ではなく、芸人がプレゼンターを務めている点だ。芸人が都市伝説を語ることで、話は過度に堅苦しくならず、あくまでバラエティとしての純度が保たれる。それぞれの芸人が独自に調べ、解釈し、物語として組み立てて披露する形式は、知的刺激と同時にショーとしての楽しさも生み出している。

 かつてのオカルト番組といえば、心霊写真を検証したり、霊能者が心霊スポットに出向いたりといった、どこか深刻で重たいトーンのものが主流だった。しかし「やりすぎ都市伝説」は、芸人たちのキャラクターとバラエティとしての演出を前面に出すことで、視聴者が気軽に楽しめる空気を作り出している。信じるか信じないかは見る側の自由であり、何かを押し付けられる感覚がない。

 テレビ全体が安全で無難な内容に傾きがちな中で、「やりすぎ都市伝説」は、適度に危ういテーマを扱いながらも、あくまでバラエティの枠組みを守ることで、絶妙なバランスを保っている。このギリギリのラインを攻める姿勢こそが、視聴者にとって刺激的で新鮮に映る理由だ。

 結局のところ、この番組が長く愛され続けているのは、真剣すぎず、軽すぎず、信じることも疑うことも視聴者に委ねるという、優れたバランス感覚にある。オカルトを安全に娯楽として消費できる場を提供しながら、同時に知的好奇心も満たす。その巧みな設計こそが「やりすぎ都市伝説」が長寿番組になった理由なのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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