朝ドラ「ひらり」脚本家の内館牧子さん “出たとこ勝負”で生き抜いた人生

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は昨年12月17日に亡くなった内館牧子さんを取り上げる。

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ひとまず自分の中に入れて考える“内館流”

 内館牧子さんは、座右の銘を問われると「人生、出たとこ勝負」と答えていた。脚本家になり独身で働き続け、女性で初めて大相撲の横綱審議委員会の委員になるなど予想だにしない方向に人生は転がったと驚く。

 30年以上親しく縁のあったノンフィクション作家の吉永みち子さんは振り返る。

「考えをはっきり話しても、論を振りかざしません。面白いことがあると連絡をくれるのですが、イタコに双葉山の霊を降ろしてもらった話は忘れられない。イタコの第一声が“見ず知らずのあなたが私を呼んでくれてうれしい”だった、本当に双葉山が来たのよ、と彼女は素直に受け止めていました。先入観を持たずにひとまず自分の中に入れて考えるのが内館流でした」

ごく普通の人々の思いと重ねて

 1948年、秋田市生まれ。武蔵野美術大学を卒業し、三菱重工業のOLに。ふと目にしたシナリオ学校の新聞広告が転機となった。

 素人の段階からスタートしたが、やがてNHKの脚本研究会から声がかかる。83年、13年のOL生活にピリオドを打ったものの脚本家としての本格デビューは88年。40歳になっていた。

 90年、TBSの「クリスマス・イヴ」では、プロポーズを遠回しに訴えた仙道敦子演じる女性に、吉田栄作扮する恋人が「この頃、お前、物欲しげに見える。みっともねえよ」と返す場面が話題に。そこまで言わせる必要があるでしょうか、自分のことを言われたようで涙が出たなどと抗議が殺到したほどリアルだった。NHK連続テレビ小説「ひらり」(92年)も平均視聴率が35%を超えた。

「ドラマには今の時代を生きるごく普通の人々の思いと重なる面が必要と考えていた。流行ではなく心の奥底です。自身の経験と人間観察から、こうではないかと推し量り、人物を丁寧に描いていた」(吉永さん)

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