北朝鮮文学に描かれる「機密事項」 知れれざる金正恩の実像が明らかに
血脈のドラマ
はっきり金日成が金正恩に語りかけている。二人は会っていたことになる。人民のために献身せよ、それが万景台ゆかりの一族が守るべき家訓だ、と。この印象深いシーンはもう一度出てくる。金正恩が穀倉地帯である黄海北道銀波郡の被災状況を視察するため自ら日本車「レクサス」のハンドルを握り、水たまりだらけの道を現地へ向かう。危険だから、と周辺は制止するが、引き返さない。まさにそのときである。〈邸宅の試験圃田で見た首領さまの姿を再び思い浮かべられた〉。金日成から聞いた「雨の日の教え」を忘れていなかったと念を押すのだ。
なぜ、いま、こんな小説が書かれたのか? 不思議なことに小説発表後、金日成の邸宅にちなむ報道が続く。2022年4月には平壌を流れる普通江べりに豪華マンションが建ち、朝鮮中央テレビの看板アナウンサーらが入居したが、ここは金日成の邸宅跡との触れ込みだった。金日成が試験圃田で作業をしている写真も初公開された。小説とリンクしていると見るべきだろう。「白頭の血統」が強調され出したのは金正恩がジュエを連れ歩くようになってからである。軍事パレードで兵士らは「白頭の血統、決死保衛!」と叫ぶ。4代世襲をにらみ、建国の父からの革命のバトンがしっかり受け継がれているという「血脈のドラマ」が欲しいのではないか。
ときに小説は対日メッセージも送る。「朝鮮文学」の2020年4月号に掲載された「人生の新しい春」がその一例だ。日朝の厚い壁に風穴を開けようと北朝鮮に乗り込んだ金丸信・元自民党副総裁が景勝地・妙香山で金日成とサシで向きあった極秘会談(1990年)を暴露している。「私は過去に日本軍で服務した人間です」。思い詰めたように金丸は「過去」を告白する。それも日本軍が金日成を投降させようと祖母の李宝益を満州(現中国東北部)に連れ出しながら失敗したという「革命伝説」に言及して。「侵略の群れに金丸もおりました。私に罰をお与えを」。金日成は返す。「祖母が生きておられたら、心から謝罪しようとおいでになった先生を喜んでお迎えしたはずです」。
「土下座外交」
政界のドンは金日成に日本の針路まで問う。「その道は日本が見つけなければなりません。一つ助言を与えるなら、日本は軍国主義の道を進んではだめだということです。私は先生自ら選択した道でいささかも引き下がらず、人民の力を奮い立たせ、日本に自主の姿が広がることを望みます」。金丸は応える。「主席の尊名をお借りし、金丸信でなく、キム金丸として蘇生します」。
いくら「土下座外交」と批判されたとはいえ、さすがにこのやりとりはオーバー、脚色が過ぎるだろう。
だが、こうした小説を発表する裏に日本との関係改善を願っている金正恩がいる。ちなみにこの小説は金日成生誕110年を記念した豪華短編小説集の巻頭を飾ってもいる。
高市首相は金正恩との首脳会談に強い意欲を表明し、すでに北朝鮮側に打診しているという。金正恩の思惑を探り、その実像をつかむには公開情報を丹念に分析するのが近道だ、とインテリジェンスのプロは口をそろえる。北朝鮮文学もまた、読み込むべき公開情報にほかならない一級資料だと筆者は考えている。
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