北朝鮮文学に描かれる「機密事項」 知れれざる金正恩の実像が明らかに

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「人民愛」アピール

 そして驚きの結末が待ち受ける。ウイルスの流入を公式発表する直前、金正恩は女医と散策する。「リ・チョルを研究所の所長に推薦するため、非常防疫司令部に行き、彼に会ってこようと思う」。女医はいさめる。「絶対だめです。あそこは発熱者が増加していますから」。金正恩は「防疫大戦」を覚悟したからには最前線の戦士を激励すると聞き入れない。「心配いりません。先生だけにこっそりお伝えしますが、私はもうすでに熱病にかかったんです」。

 女医は思いがけぬ告白にたじろぐ。「そ、それは事実ですか? 3~4日もの間、高熱にうなされておられたとは。私をはじめ防疫司令部のメンバーはすべて千古の罪人です」。

 北朝鮮はこの年の8月10日、全国非常防疫総括会議でコロナの撲滅を高らかに宣言する。金正恩の妹、金与正が声を詰まらせた。「高熱の中、最後まで責任を負わなければいけない人民たちのことを考え、一瞬も横になれなかった元帥さま……」。兄の感染をにおわせたが、3年たち、小説の形を借り、金正恩は自ら感染した事実を初めて明かしたのだ。最高指導者の健康問題は機密事項とはいえ、究極の「人民愛」アピールを優先したわけである。党中央委員会機関紙「労働新聞」などには一切、出ていない情報だ。ここに北朝鮮文学のインテリジェンスとしての価値がある。

ただならぬ絆

 2025年に入り、金正日の最側近で、金正恩にとっては後継者教育の師であった軍の重鎮、故・玄哲海がクローズアップされる。小説も相次いで発表された。玄哲海の3周忌を迎えた5月18日の早朝、金正恩は平壌の新美里愛国烈士陵を訪れ、彼の墓にひざまずき、深紅のバラを手向ける。闘病の末、2022年に死去した際は国家葬儀委員長として国葬を執り行い、棺(ひつぎ)を担いだ。墓参は3年連続のことであった。

 なぜ彼を重視するのか? 「朝鮮文学」5月号に掲載された「永生の命」に金正恩と玄哲海とのただならぬ絆を示す秘話が紹介されている。

 あるとき、金正恩は国営の美術制作会社「万寿台創作社」副社長でもある画家に玄哲海の肖像画を描くよう命じる。小説ではリム・スンジンとあるが、金日成の肖像画も手がけた金成民のことだ。「玄哲海同志は偉大な将軍さまのため、火のように生きてきた。苦難の行軍の時期、生死を共にし、革命の険しい山を乗り越えた革命戦士、頼もしい補佐官は玄哲海同志だけだった。だから私は彼を偉大な将軍さまの影と呼んできた」。だが、絵の完成を待たず、玄哲海は亡くなってしまう。金正恩は創作社で立像を作るよう指示する。「テレビでのみ見てきた玄哲海同志の姿を人民らに広く知らせるべきだ」。

 金正恩の立像への並々ならぬ思いが小説から伝わる。夜遅く、一人工房に足を運んでは、実物より少し背が高い、顔がぽっちゃりし過ぎだ、目と耳の形が違うなどと注文をつける。とりわけ手の造形へのこだわりが尋常でない。立像に触れ、リム・スンジンを叱る。「手帳を持つ手を修正せよ。いまの手は玄哲海同志の手ではない。彼の親指はもっと丸く、爪の長さは8ミリ程度だ」。そしてこう力を込める。「これは単純に傑作を作って世に出すためではない。忠臣中の忠臣を人民の心に植え付ける栄光の事業であり、百、千、万の玄哲海を育てる聖なる事業なのだ」。

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