91歳で死去「不破哲三氏」自伝が“天敵”の出版社から刊行された理由 知られざる“ペンネーム”の由来とは
手塚治虫全集、全400巻を所有
本の刊行後、不破さんご夫妻が、角谷さんとわたしを、慰労の食事会に招いてくださいました。会場は、〈新宿中村屋〉です。銀座でも赤坂でもない、〈新宿中村屋〉というところが、いかにも不破さんらしくて、うれしくなってしまいました。不破さんは、
「新宿中村屋の創業者は、大正時代にインドから亡命してきた革命家、ラース・ビハーリー・ボースを匿い、助けた人です。カレーを日本に伝えたのもボースで、だから新宿中村屋は、カレーが名物なんですよ」
と、楽しそうに語っていました。そして、「今回は、ほんとうによい本をつくってくれました。お二人に感謝します」と、ていねいに挨拶してくださって、かえって恐縮してしまいました。奥様の七加子さんは、日本共産党の“陰の女帝”のようにいうひともいて、たしかに眼光鋭く、しっかりした方に見えましたが、不破さんを背後から支えている感じが強く伝わってきました。「あなた方みたいな若い人たちが、よくまあ、不破の自伝なんか、作る気になりましたねえ」なんて、冗談半分に言われたものです。
食事の途中で、不破さんに「森重さんは、いま、どんな本をつくってるんですか」と聞かれました。この時期、わたしは、大ファンだった手塚治虫さんに関する本『手塚治虫 原画の秘密』(手塚プロダクション編/新潮社とんぼの本、2006年9月刊)を準備中でした。そのことを話すと、突然、不破さんの目が輝きました。
「あなた、手塚ファンですか。わたしも大ファンです。講談社から出ている『手塚治虫漫画全集』は全400巻、すべて初版で持っています。ところが、引っ越しの際、何冊か、行方不明になってしまいまして。それはあとで、古書店を探しまわって補充したほどです」
不破さんは初期の作品、特に『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』や、『火の鳥』が好きだと言っていました。わたしが、「アトムのなかの〈ブラックルックスの巻〉のラストシーンで、いつも泣いてしまうんです」と言ったら、不破さんが「ああ、最後に、お母さんがロボットだったことを知る話ですよね」と話が合って、よく読んでおられるなあと、驚いてしまいました。
翌年、できあがった『手塚治虫 原画の秘密』をお送りしたら、お礼の電話をくださって「よくまあ、こんなに貴重なナマ原画を使えましたねえ。手塚プロは鷹揚ですねえ」と感心してくれたのを覚えています。
ちょうどそのころ、不破さんは議長を退任されました。正式な表舞台からは去ったものの、事実上“院政”を敷いているという声もあったようです。実際にどうだったのかは、わたしごときにはわかりませんが、なんとなく、手塚作品を引っ張り出して、のんびり読んでいる姿を想像していました。
わたしは後年、初期の食道ガンを患い、某大学病院で手術を受け、以後、3カ月おきに検査に通うようになりました。すると、その病院に不破さんも通っており、しばしば診察日が重なり、一緒になるのです。いつも、奥様とご一緒でした。しかも、その場所が、ふつうの外来待合室でした。退任したとはいえ、日本共産党VIPが、一般患者に混じって外来待合室のソファに座っている姿は意外でした。いつも「いやあ、またお会いしましたね」と、すこし照れながら笑ってあいさつしてくださいました。
奥様は、2020年5月に先立たれています。角谷さんによると、
「奥様の没後は、身のまわりのお世話をする方と、静かに過ごされていたようです。一昨年でしたか、散歩中に転んで怪我をしたと聞いたので、久しぶりにお会いできないかと申し込んだのですが、やんわりと、断られました。ちょうど党委員長が、志位和夫さんから田村智子さんに代わる時期で、そんなときに古顔が表に出たのでは、党の刷新イメージに水を差すから――とのお考えのようでした」
おそらく、いまごろ、天上で夫人とのんびり過ごされている……いやいや、やはり、先に逝った自民党の大物たちと、論戦のつづきを展開しているのだと思います。不破哲三さん、新潮社にユニークな御原稿を頂戴し、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
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