「シモの世話」までした夫が“裏切りの不倫”、息子は「事故死」「自死」を遂げ…「淡路恵子さん」13回忌 本人が語っていた「激動人生」の一部始終

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 女優・淡路恵子さん(享年80)が食道がんで亡くなったのは、2014年の1月11日。今年で13回忌を迎えた。

 名女優として、また後年はバラエティでの舌鋒鋭いコメンテーターとしても人気だった淡路さんは、その私生活が波乱万丈であったことでも知られている。「週刊新潮」では、淡路さんの死の直後、その前年に行った本人インタビューを基に、彼女の人生を振り返っている。以下はその再録記事である。

前編】では、結婚、離婚、再婚と夫の俳優・萬屋錦之介のプロダクション倒産、そして萬屋の難病発症までを振り返った。献身的な看病で萬屋は俳優に復帰できるまで持ち直したが、その後も淡路さんの心身は休まることはなかった。【後編】では、夫の不倫と離婚、そして息子の逮捕と自死について詳述する。

 おおいなる共感を呼んだ、過去を後悔しながら振り返ることをよしとしなかった生き方とは。

【前後編の後編】

(「週刊新潮」2014年1月23日号記事を一部編集し、再録しました。文中の年齢、肩書等は当時のままです)

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看病ノートを破り捨て

 が、間もなく“最大の試練”が淡路さんを襲う。舞台復帰作となった1985年8月の大阪公演「ご存知・一心太助」で共演した元宝塚のトップスターと(萬屋と)の不倫が発覚したのだ。最愛の夫の裏切りを知った“その日”のことを、淡路さんは本誌にこう語っている。

〈錦ちゃんを看病していた頃、身の回りのことはみなノートに書き留めていました。下の世話は、大小とも私がやっていたし、何月何日のお小水は何ccだったとか、この日は何を食べたとか、すべてメモしていたのです。ところが、せっかく復帰した矢先、私のことを“お姉さん”とか“お母さん”と呼んで慕ってくれていた宝塚出身のあの女性とできていたと知らされました。その時私は、思わず“ふざけるな”と、錦ちゃんの看病ノートを破り捨ててしまったくらいです〉

 女性誌が最初に不倫を報じたのは1986年秋だったが、実は舞台の共演中から夫は後輩女優と深い仲になっていたといい、同年初めには、淡路さんと錦之介は別居状態に。

〈おそらく錦ちゃんは、軽い浮気のつもりだったのかも知れません。私も、次々にこれでもかと襲ってくる不幸に、“神も仏もあるものか、鬼が出ても蛇が出ても、私は逃げない。背中を見せないで立ち向かうしか道はない”と思い知らされたのです〉

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