【豊臣兄弟!】ドラマで描かれた生家そのままに 豊臣兄弟が極貧に陥っていた理由
ドラマ並みに貧しかった
今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」がいよいよはじまった。第1回「二匹の猿」(1月4日放送)では、尾張国(愛知県西部)中村(名古屋市中村区)にあったという羽柴(豊臣)秀吉の生家の様子が描写されたが、それを見て、あらためて「こんなに貧しかったのか」と驚いた視聴者も多いのではないだろうか。
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戦がはじまったことを村役人が知らせると、百姓たちは戦場へと走り出した。戦場に行けば、銭や食糧を奪えるからである。しかし、のちの羽柴(豊臣)秀長である小一郎(仲野太賀)は行こうとしないので、姉の「とも」(宮澤エマ)は弟を一喝し、不作が続いて食べるものが底を突こうとしているのだから、戦場から奪ってこなければダメだと発破をかけた。
8年前に小一郎の兄の藤吉郎(池松壮亮)が、地元の土豪の家から仏画を盗んだ挙げ句に姿をくらまし、以来、小一郎は姉の「とも」のほか、母の「なか」(坂井真紀)、妹の「あさひ」(倉沢杏菜)の家族4人で暮らしている。家は、いかんせん貧しい。そこに甲冑を着けた藤吉郎が、8年ぶりに帰ってきた。織田信長のもとに仕えているというが、貧しさや汚さでは小一郎たちと五十歩百歩である。
はたして描かれた貧しさは大げさか。だが、さまざまな史料から推定されるのは、秀吉の生家における当時の暮らしは、「豊臣兄弟!」の描写が決して大げさとはいえないレベルのものだった、ということである。
「若い頃には山で薪を刈り」
たとえば、イエズス会の宣教師であったポルトガル人のルイス・フロイスは、著書『日本史』に、秀吉の出自について次のように書いている。
「関白は高貴の血筋をひくどころか、下賤の家柄であり、彼もその親族も、あるいは農業、あるいは漁業、もしくはそれに類したことを生業としていた」(松田毅一・川崎桃太訳)
「彼は美濃(ママ)の国の出で、貧しい百姓の伜として生まれた。若い頃には山で薪を刈り、それを売って生計を立てていた。彼は今なお、その当時のことを秘密にしておくことができないで、極貧の際には古い蓆以外に身を掩うものとてはなかったと述懐しているほどである」(同)
しかも、伊達家に伝わる膨大な古文書群である『伊達文書』のなかには、秀吉がみずからの若いころを振り返って語った言葉として、「秀吉若輩之時孤と成て信長公属幕下身を山野に捨、骨を海、岸に砕」という記述がみつかる。若いときには家族と別れ、独りになって暮らし、その後、信長のもとに仕えて粉骨砕身してきた、という内容で、若いころにかなりの苦労があったことがわかる。
とはいえ、秀吉や秀長が生まれたころは、まだ極貧というほどではなかった可能性が高い。父親は貧しい百姓にすぎなかったとはいえそうにないからである。
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