ハリウッドスターや有名作家…著名人をも魅了した「八千草薫」 年を重ねても変わらなかった「清楚な美しさ」【昭和女優ものがたり】
団塊世代以上の人と映画の話をしていると、八千草薫ファンが多いことに気づく。どこがいいのですかと聞くと、一様に「あんなに清楚で美しい人はいない」と口を揃えるのだ。彼女はなぜこれほど人々の心をつかむ女優となったのだろうか。1月6日に迎えた生誕95周年を機会として、出演作品と共にその魅力を探ってみたい。【稲森浩介/映画解説者】
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荒んだ社会に咲いた一輪の花
八千草は1931年(昭和6年)大阪市に生まれた。1946年に宝塚音楽学校に入学、翌年に宝塚歌劇団に入団する。1951年の舞台「分福茶釜」のコミカルな狸役が注目を集め、人気がでる。在団のまま「宝塚夫人」(1951年)で映画初出演。1956年には劇団内に「映画専科」が作られ、八千草は映画出演がメインとなった。
その頃に出演したのが、横山泰三の漫画を原作とし、市川崑が監督した「プーサン」(1953年)だ。何事にも気が弱く自信のない予備校教師のプーさん(伊藤雄之助)が主人公。下宿先の娘カン子(越路吹雪)に思いを寄せているが、予備校をクビになって職探しに奔走する。
八千草は病院の看護士役だ。小さな役だから出なくていいといわれたが、脚本が面白かったので無理に出させてもらった、と語っている(白井佳夫『対談集 銀幕の大スタアたちの微笑』日乃出出版)。
患者が八千草を見て「きれいな方ですね」と言うシーンがある。それに対して医者(木村功)は「誰もが一度はポーッとなるよ。今どきあんな娘がいるなんて不思議だね」と答える。また、プーサンが花を買おうとすると、お金が足りないことに気づく。そこを通りかかった八千草が、どうぞ使ってください、とやさしくお金を差し出す。
当時の社会の矛盾や欺瞞に皮肉をこめた、やや暗いトーンの作品だ。しかし、八千草が登場すると明るく華やかになる。市川監督は、荒んだ社会に咲いた一輪の花のように八千草を描きたかったのではないか。
「プーサン」は、現在配信で観られる最も古い八千草の出演映画だ。ぜひ確認してみてほしい。
お通と蝶々夫人
稲垣浩監督、三船敏郎主演の「宮本武蔵」3部作(1954~1956年)では、武蔵の幼馴染・お通役に抜擢される。常に武蔵を想い、寄り添う健気な姿に魅了された人が多かったという。
同時に、イタリアとの合作映画「蝶々夫人」の主役に選ばれ渡航する。日本文化を正しく描いた「マダム・バタフライ」を作りたい、というのが制作主旨だった。八千草はオペラを覚え(歌声は吹き替え)、ローマのチネチッタで蝶々夫人を演じる。当時の苦労を「歌が覚えられないことがね、もうほんとに痩せちゃいましたねえ」と語っている(川本三郎『君美わしく―戦後日本映画女優讃』文藝春秋)。この作品は海外でも高い評価を得た。
この時、マーロン・ブランドに見初められたというエピソードがある。あるパーティーで、ブランドは八千草の側に座り瞳をじっと見つめてきたという。「あんなにドキドキした経験はありません」と。後日ブランドが来日した時も、会いたいというメッセージが届いた。結局「過去の淡い思い出は胸にしまっておいた方がよいと思い」会わなかったそうだ。(『NIKKEI STYLE』2019/11/8)
ブランドは「波止場」(1954年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、世界的に人気があった頃だ。「蝶々夫人」の美しい八千草を観て、一目惚れしたのも分かる気がする。
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