日本人の血を引く「ドイツ人女性監督」が描いた“ユダヤ人ホロコースト”をたどるロード・ムービーと重なる監督の人生とは
監督自身が語る、原作との相違点
さて、そんな映画をつくりあげたのは、ドイツの女性監督、ユリア・フォン・ハインツである。
1976年、東西統一以前のドイツ、西ベルリンに生まれた。社会、政治、女性問題をテーマにした劇映画やドキュメンタリーを多く生んでおり、近年は、映画にかんする論文で博士号を取得し、大学教授もつとめている。
2020年には「そして明日は全世界に」が、ヴェネツィア国際映画祭コンペ部門でプレミア上映され、高い評価を受けた。現代のネオナチに対抗しようと、左翼団体に加入した一人の女子学生が、次第に過激になっていき、かえって危険な存在に変貌していく姿を描いた、シリアスな作品だった。
その一方で、ロマンチック・コメディ「Hannas Reise(ハンナの旅)」(2013)や、サンティアゴ巡礼のロード・ムービー「Ich bin dann mal weg(では、行ってきます)」(2015)といった作品も手がけており、幅広い作風をもつ映画作家のようである。
本作「旅の終わりのたからもの」はコメディ・タッチと、歴史・政治にまつわるシリアスな題材が、見事なバランスで同居した、フォン・ハインツ監督の集大成的な作品でもある。
「この映画の原作『Too Many Men』は、1999年に英語版がオーストラリアで出版され、翌2000年、ドイツ語版が刊行されました。わたしはこの作家の大ファンだったので、すぐに読みました」
と、ユリア・フォン・ハインツ監督が、オンライン・インタビューで語ってくれた。以下は、監督との対話である。
その前に――小説『Too Many Men(男たちが多すぎる)』について。
著者、リリー・ブレット(1946~)の両親は、ポーランドのユダヤ人である。戦時中、ゲットー内で知り合い、結婚した。アウシュビッツに移送され、“消滅”させられる直前に終戦。なんとか生き延びて、難民キャンプでリリー・ブレットを生み、その後、オーストラリアへ移住した。
つまり、映画「旅の終わりのたからもの」は、リリー・ブレット自身と、その両親がモデルなのだ。
「しかし、単なるシリアスな小説ではありません。ドラマとコメディがバランスよくかみ合っていて、とても面白い物語でした。読んで、すぐに映画化を決意しました」
映画化にあたっては、いくつか、原作からの変更点がある。たとえば、主人公ルーシーは、原作では、大成功した女性実業家との設定だった。だが、ジャーナリストに変更したのは、自らのルーツを訪ねる姿に説得力が生まれるからだった。
だが、最大の変更は、〈ルドルフ・ヘスの亡霊〉が登場しない点だろう。この小説のユニークな設定のひとつが、父娘の旅に〈ルドルフ・ヘスの亡霊〉が同行する点なのだ。
ルドルフ・ヘス(1894~1987)とは、ナチス・ドイツの副総統。ヒトラーの片腕として“大活躍”したが、精神を病み、戦後のニュルンベルク裁判で終身刑となった。だが、1987年、93歳の時に刑務所内で首つり自殺をとげる。これを契機にネオナチの信奉対象となり、半ば神格化されるようになった“問題人物”である。
「小説では、たしかに〈ルドルフ・ヘスの亡霊〉が父娘の旅に同行します。ただし、ルーシーにしか見えません。作中、4か所にヘスが登場し、ホテルの室内で、ルーシーと長い会話を交わします。この場面は、小説だったらよいかもしれませんが、映画にしたとき、ヘスが英語を話していたら、おかしいでしょう。本作は、アメリカ人父娘の、英語の会話が中心ですから。会話内容も、ナチスが犯した罪や、虐殺したユダヤ人の数など、かなり細かい会話でした。しかし2025年の現在では、さらに新しい事実や数字も出てきています。そこで、この設定はカットしたのです」
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