京都の豆腐売りは、なぜ公家の住む横丁で声をひそめたのか――貧乏だが高位という「厄介な人びと」

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 京都の一角には、江戸時代、物売りが足を踏み入れた途端に声をひそめる横丁があったという。

 また、幕府の重要な役職でもあり絶大な権力を誇る京都所司代が、風呂敷包一つを背負った男に慌てて馬を降り、礼を取るという奇妙な光景が見られることもあった。

 その背景にあったのが、「貧乏だが、位だけは高い」という公家社会の存在である。

 2022年に亡くなった文明史家・渡辺京二氏の「幻の講演録」をまとめた新刊『私の幕末維新史』から、公家について語った部分を再編集して紹介する。

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豆腐屋が公家の住む横丁で静かにした理由

 江戸時代、お公家さんというのは偉いもんだったんです。しかし、実際はとても貧乏でした。有名な話ですが、ある高位の公家の住む横丁では、物売りが「豆腐~、豆腐~」と声をかけながら歩いてきても、その通りに差し掛かると急に叫ぶのを止めたといいます。

 とどのつまり、これは「借上げ」、公家に呼び込まれると品物を持っていかれるだけで、いつ代金を払ってもらえるかわからないからです。かように公家は貧乏でしたが、にもかかわらず、精神的な権威ではあるので、大名たちは公家の娘を有難がってお嫁さんに迎え入れました。

「我は石山三位なるぞ!」

 江戸時代、京都には所司代が置かれていました。これは幕府の最高役職で、いわば現代の京都市長、警察署長であり、さらに幕府の出張所長の役割を兼ねています。ある日、所司代が東山にある泉涌寺(せんにゅうじ)へお参りに行くことになりました。

 行列を作り、供揃えを整えて向かっていたら、行列の前に貧弱な身なりで、背中に風呂敷包を背負った男がふらふらと歩いていました。男が道の真ん中を歩いていたため、馬に乗った所司代の配下の者が「道を下がれ」と声をかけます。

 すると、男は「何者ゆえに乗り打ちされるのか」と言いました。そして、「我は石山三位なるぞ」と名乗ったそうです。「乗り打ち」とは馬に乗ったまま貴人の前を通ることを指します。馬上から自分に声をかけたことを咎めたのです。

 三位はかなり高い位であり、京都所司代よりも上でした。そのため、道で石山三位に出会った所司代は驚き、引き連れた者も含めて一同馬から降りて礼をしなければなりませんでした。

風呂敷包一つのお公家さん

 所司代が「いずれに行かれますか」と尋ねると、石山三位は「泉涌寺に参拝に行く」と答え、所司代も「私も向かうところでした」と同行することになったのです。泉涌寺に着くと、石山三位は風呂敷を広げ、中から束帯装束を取り出して身につけ、正式な装いでお参りをしました。

 参拝後、所司代が「三位ともあろうお方が供も連れず、そのような格好ではいかんじゃありませんか」と言うと、石山三位は「貧乏で供を雇うお金がない」と答えました。このように、風呂敷包一つを担いで移動するような三位が存在したのです。

 ところが、こんな貧しい三位であっても、京都所司代、すなわち江戸幕府の京都における最高責任者が馬から降りて礼を取らねばならないほど、朝廷の権威は生き残っていました。この事例は、江戸時代にも、幕府の専制政治の中で古代的な朝廷の権威が生き残っていたことを示しています。

※本記事は、渡辺京二著『私の幕末維新史』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。

渡辺京二(わたなべ・きょうじ)
1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。日本近代史家。主な著書に『北一輝』(毎日出版文化賞)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞)、『日本近世の起源』、『江戸という幻景』、『黒船前夜』(大佛次郎賞)、『未踏の野を過ぎて』、『もうひとつのこの世』、『万象の訪れ』、『幻影の明治』、『無名の人生』、『日本詩歌思出草』、『バテレンの世紀』(読売文学賞)、『小さきものの近代』他。2022年没。

デイリー新潮編集部

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