おばあさんを土葬したらおじいさんの遺体が出てきた 意外と知られていない日本の土葬現場
日本に住むイスラム教徒のお墓をどうするか。いわゆる「土葬問題」が注目を集めている。実際に計画が進んでいた大分県や宮城県では、多様性や公平性の観点から新たな土葬墓地を認めるべきだという意見と、住民の不安などを理由に反対する意見とが対立、墓地建設にストップがかかっている。
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自分たちにない文化に不安を抱くのは自然なこととも言えるが、一方で日本国内でも土葬を伝統としている地域は存在している。
そこではどのような埋葬が行われているのか。ライターの神舘和典氏は、伝統的に土葬が行われている村を訪ねた経験を著書『墓と葬式の見積りをとってみた』で紹介している(以下、同書をもとに再構成しました)
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現代の土葬を見学に行く
土葬が現存すると知ったのは偶然だった。自宅近くのカフェレストランで、編集者のKさんと食事をした際に話を聞いたのだ。
「お墓のことを書くならば、土葬に触れるべきだと思うよ」
アドバイスされた。Kさんはある出版社の役員で、年齢は六十代前半である。
「でも、今の日本で土葬はあるんでしょうか?」
「ある! うちの実家が土葬だ」
中学生から高校生にかけて、Kさんは和歌山県の山中の集落で暮らしていた。その後もずっと実家があり、埋葬法は土葬なのだという。
土葬と聞いて最初はドキッとした。それまで、自分の周囲では土葬をしている人は一人もいなかったのだ。しかし、考えてみれば、日本に火葬が定着したのは明治時代以降。歴史は浅い。それまでは土葬が主流だった。世界的にもまだ土葬の地域は多い。
ただし、人間の肉体を焼かずに棺に納めて埋めるには、どうしても広い面積が必要になる。すぐに腐敗が始まることによる細菌感染の予防を考慮すると、身体のサイズ分よりも広く土を掘らなくてはならない。現実的には、とてもじゃないが都市部では行えないのである。
さて、Kさんの実家がある集落では、土葬は次のように行われるそうだ。
(1)故人の遺体はまず自宅で、北枕にして横たえる。その際、胸の上に小さな刃物を載せる
(2)遺体を棺に納め、遺族が中心になってかつぎ、菩提寺まで運ぶ。それまでに、菩提寺の敷地内にある三昧(さんまい)と呼ばれる土葬を行うところに、近所に住む男性、4~5人が穴を掘る。穴の縦横のサイズは棺に合わせる。深さは1mほど
(3)棺を穴の底に寝かせて、蓋をあけて最後のお別れをしたのち、土をかけて盛り固める
(4)盛り上がった土の上に隙間なくていねいに石を並べる
(5)遺体が野生の動物に食われないための配慮なのか、何本もの竹を斜めに切断して槍状にして、遺体の周りに立てる
集落には、近所の十数世帯がグループになった「組仲間」というものがある。同じ組内の誰かが亡くなると、ほかのメンバーがお葬式や埋葬を手伝うのだ。
「こんな話で書けるかい?」
とKさん。
「はい。ありがとうございます。とてもリアルでわかりやすいお話でした」
「それならばよかった。でも、それでいいの?」
「えっ?」
「だから、モノ書きの姿勢としてね」
「どういう意味でしょう?」
「宇宙葬について書く場合は、まさか無人ロケットに乗り込んで宇宙まで見に行くわけにはいかない。でも、土葬は日本国内にあるわけだから、現場を見なくちゃいけないんじゃないのかな」
「はあ……、確かに」
Kさんは懐からおもむろにスケジュール帳をとりだした。
「再来週の週末はあいてるかい?」
「はい。いまのところは」
「じゃあ、何も入れないでおいて。一緒に僕の菩提寺を見に行こう。今でも土葬だから」
そんな経緯で、真夏の和歌山へ向かうことになった。
土葬をするには理由がある
南紀白浜空港近くでレンタカーを借りて、もう1時間近く走っていた。まったく人家のない山の中をクルマはぐんぐん進んでいく。信号はない。対向車も来ない、後続車も来ない。輝くような緑の中をただただ進んでいく。
山の頂上らしいところに一度上がり、そこから下っていくと、本当に人家の塊が見えてきた。蛇行する川に囲まれるように水田が広がっている。
「都心で暮らしていると理解できないかもしれないけれど、日本にはまだ周辺に火葬場がない地域もあるんだよ。そういう土地には土葬の風習が残っている。水のかたまりのような人間の身体を燃やすのは大変な火力がいる。火葬場はそれに耐えうる施設でなくてはいけない。そんなかんたんには造れない」
そう話すKさんの家は先祖代々土の中に眠っている。
夕刻近くに集落に着いたので、翌朝にお寺を訪れることにして、その日はKさんの実家で早い時間に眠りについた。
おばあさんを埋めたらおじいさんが現れた
翌朝は水田に住むものすごい数の蛙の声で目を覚ました。
朝食をとると、さっそく寺へ向かう。すれ違う人は皆、不審なまなざしを向けてくる。人口は4000人に満たない。ここで暮らす人はおそらく全員の顔を知っているはずだ。よそ者はすぐに判別できる。会釈をすると、「どちらさんですか?」と率直に聞いてくるオジイサンもいた。Kさんが素性を答えると、ああー、とうなずき、Kさんが暮らしていた時期の話をする。
家が途切れ、お寺への坂を上っていく。前を歩くKさんが汗を拭きながら険しい表情でふり向いた。
「蛇が出るから、噛まれないように」
「なんですか、それは?」
「マムシ」
十分ほどで真言宗のお寺に着くと、山門の前を素通りして、直接三昧へ向かう。詳しい話を聞こうと住職に事前に取材を申し込んだが、丁重に断られていた。
墓地まで進むと、恐ろしい数の蚊に囲まれた。この地域の蚊は数も多いが、サイズもでかい。コバエかと思ったほどだ。黒いのもいれば、白黒のまだら模様のもいる。しかも、追い払っても追い払っても逃げない。
「このへんの蚊はね、人に追い払われることをほとんど経験していない」
「はあ」
「だから、蚊のDNAに“逃げる”という情報が書かれていない。あるいは、ものすごくおなかが空いている」
Kさんの説明は理にかなっているように思えるが、そのまま信じていいのか、ちょっと怪しい。
三昧へ着くと、家ごとにいくつにもエリア分けされていた。それぞれ2m×1mほどのスペースで、遺体が土葬され、土の上からたくさんの石で固められている。
「いいかい、遺体を棺に入れて埋めて土を盛ると、地面は棺の大きさ分ポッコリと膨らむんだ。そして、その土が、ある日、ズドン! と落ちる。遺体や棺が腐敗した時に、その分地面が下がるわけだ」
Kさんの家のスペースは3か所。複数箇所持っていないと困るからだ。家族が続けて亡くなった場合、前の遺体が白骨化していないので、同じ場所に埋めるわけにはいかない。Kさんのおばあさんが亡くなった時、三昧に穴を掘ったら、20数年前に他界したおじいさんの白骨遺体が現れたそうだ。
「うちのおじいさんの白骨がタキシードを着て現れた。遺体や棺は腐敗するけれど、化繊の布団でくるんでいたためかそっくりそのまま現れたんだ。だからまずおじいさんの骨を取り出してそこへおばあさんを埋め、その上におじいさんの骨を戻した。文字通りの偕老同穴だな」
三昧は段々畑のように段差を作っている。そしてその一番下に我々がお墓と言われて思い浮かべるような墓地がある。ただし、墓地には墓石があるだけで、その下に遺骨は眠ってはいない。
それでもKさんの家のお墓に手を合わせた。貴重な体験をさせていただいた。
この本を書いている時点(注・2014年)で、日本の「墓地、埋葬等に関する法律」では、土葬は禁じていない。また、東京都の条例でも土葬を禁じてはいない。東京都においては、各市町村に判断を委ねている(大島町のみ例外的に東京都によって土葬を禁じている)。
しかし、各自治体で土葬を禁じているのが現状だ。その理由は主に衛生面で、また土葬を行えるほどの敷地を持つ霊園や寺がないこともあるだろう。大阪府や愛知県も同じような状況と聞く。
ただし、全国的には、風習として静かに土葬は行われている。どこで行われているかは明確ではない。自分のところが土葬であることを、お寺があまり言いたがらないからだ。火葬が主流の日本では、土葬はおどろおどろしいイメージがあるのが理由の一つだろう。しかし、世界的には土葬が多い。まずイスラム教は土葬が基本だ。キリスト教でも肉体を焼くことを好まない傾向があり、土葬が主流である。だから、欧米では土葬の地域が多い。
(※付記:ちなみにKさんの実家のある集落は、今では火葬が主流になっている。近隣に火葬場ができたからだという)










