不倫を経て「3度目の本気の恋」継続中…60歳夫が妻の振る舞いで“透明人間”になったワケ

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「結婚しない?」

 プロジェクトは成功をおさめ、裕美子さんは30歳になるころ開発事業部の副部長に出世していった。彼女の心を完全にもっていかれていた寛一さんは、「おめでとう。ねえ、結婚しない?」と言ってみた。

「彼女は『はあ? 相変わらずあなたはとんちんかんでおもしろい』と大笑いしてくれた。ふたりともひとり暮らしだったから、僕は彼女がよりよい仕事をできるよう全力でサポートすると誓ったんです。彼女も妙な人で、それもいいかもねって。それで社内で大々的に結婚を発表、一緒に住み始めました」

 引っ越しには双方の友人が10人も集まってくれたというから、ふたりの人気ぶりがわかるが、ほとんどが裕美子さんの信奉者だったらしい。当の裕美子さんは、引っ越し当日も出社して仕事をしていた。

「彼女はすっかり仕事がおもしろくなったようで、それからもビシバシ仕事を進めていました。何があってもめげないし粘り強く交渉するし、会社にとっては逸材だったんじゃないでしょうか」

 寛一さんと裕美子さんはふたりとも、結婚後にこの結婚が間違いではなかったと何度も感じたという。何でも話し合える関係だった。裕美子さんは、自分のキャリアがある程度確定したところで子どもがほしいと思っており、寛一さんも同意した。

「子どもが生まれたのは36歳になるころです。裕美子は将来の幹部候補みたいな存在になっていました。僕は相変わらず平社員に近いところで留まっていたけど、40歳で完全に独立すべく準備を進めていたんです。子どもが生まれたころ会社を興して、少しずつ稼働させていました」

母はシングルマザー 寛一さんの生い立ち

 それぞれに目標を持ち、お互いにそれを尊重しながら家庭を営んでいた。ひとり娘にはふたりともめいっぱい愛情を注いだ。

「子どもはかわいいですよね……。実は僕の育った家庭は父親がいなかったもので。しかも戸籍にも何も残ってない。母はシングルマザーでした。僕の3歳違いの弟は、また別の男の子らしい。母は飲食店を経営していて、僕らは食べるものに困ったことはなかったけど、気持ちとしてはいつも寂しかったですね。母は朝から晩まで働いていて、夕飯は弟とふたりだけで食べることが多かったから。店の裏に自宅があったので、夜、眠れないときなどちょっと店を覗くと母がお客にビールを注いでいたりする。今思えば別に媚びていたわけでもないんだろうけど、なんだかそういう光景が好きになれなかった」

 寛一さんは大学入学を機に生まれ育った地方都市から上京した。母から父親について何か聞かされたことはない。ただ、上京する前の晩、「私はあなたに出会えてよかった。父親がいなくて申し訳ないとは思うけど、あなたを授かってよかったと思ってる」とだけ言った。それ以上、父親は誰なんだ、どこにいるんだと問い詰めることはできなかった。

 寛一さんが結婚する少し前、母は結婚してあっさり店を閉じた。母は子どもを育てる役目を終え、自分の幸せに軸を切り替えたとわかった。母の人生だからかまわないと思いながらも、どこか釈然としない思いが残った。母には一生、ひとりでいて子どものためだけに生きてほしかったのだろうか。そう問うと、「そういうわけではないけど……。母の生き方を容認できなかったのかなあ。シングルマザーになった経緯もわからないし、自立した母を自分勝手な母だとは思っていましたね」と彼は言った。

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