【実録・昭和の「離婚」相談所】「愛人ができた」から「あなたのすべてが嫌い」まで…赤裸々すぎる実例から始まる温故知新
年末年始は一般的に家族団らんの期間だが、大掃除や買い出しの手はず、過ごし方、老親との交流方法など、意見対立の火種は意外と多い。「一生このままか」とふと考えた時、「離婚」の2文字が頭をよぎることも……。ましてや、具体的な問題を抱える面々なら、「今年こそは」と“新年の決意”を固めることだろう。
弁護士の存在が身近になり、ネット上で完結する離婚調停サービスも登場するなど、「令和の離婚」は昭和のそれよりもハードルが下がったといえる。だが、門戸は広くなったものの、離婚理由や感情までもが様変わりしたわけではないようだ。「週刊新潮」のバックナンバーから、昭和の離婚事情を覗いてみよう。
(以下、引用部分はすべて「週刊新潮」1983年12月8日号掲載「家裁が取り上げない『愛人離婚』を請け負う『愛幸センター』の実績」より)
【写真】男女で意見が二分…2025年に大論争が起こった「有名人の離婚」といえば
駅徒歩5分のビルの一室に
昭和58(1983)年の晩秋、当時の「週刊新潮」(引用部分は以下同)は「愛幸センター」なる事務所を訪ねた。場所は東京・山手線某駅から徒歩5分のビルの一室。メンバーは40代のN社長と身上相談室室長、女性事務員、コーディネーターの50代女性7人である。
彼らのビジネスは「離婚相談室」。家庭裁判所の離婚調停や離婚裁判を申し立てにくい“事情”がある離婚案件を、民間で進行させるというものだ。依頼者が離婚できるよう相手方を説得するなど、今で言う「別れさせ屋」の原点のような業務内容も含まれていた。
「週刊新潮」の取材時は、事務所設立からほぼ1年が過ぎた頃だった。問い合わせ件数は多い日で1日40本程度。そこから面接、説得を経ても離婚の意志が固い場合は、入会金を支払ってセンターの会員となるシステムである。相手のもとへ出向いての説得は、コーディネーターたちの担当。もちろん苦労が多い役目だ。
〈「門前払いをされることも度々あるし、“どこの馬の骨かわからない”という顔をされて、ドアをバタンと閉められるなんてことも日常茶飯事。が、セールスマンのように、たとえ門前払いであっても“いいお家ですね”とか“まあ可愛いお花”とか言って、相手の心を開かせないといけない」〉(N社長)
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