「桂離宮に迫撃弾が」「神社やJRの駅舎への放火も」 「大嘗祭」挙行後にゲリラ事件が続発 平成の世相を振り返る

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ゲリラ事件が続発

 賛否両論が渦巻く中で、大嘗祭が晩秋の11月22日夜、厳粛に行われた。都心の中心・丸の内のオフィス街からお堀を隔てた皇居・東御苑で、日もとっぷり暮れた午後6時半から、海部俊樹首相ら国内の代表が参列して始まった。純白の祭服を着た天皇陛下が足元を照らされながら、この一夜のために造営された大嘗宮を進む。その後を同じく白い十二単(じゅうにひとえ)の皇后さまが進む。

 今回は大嘗祭で公費が使われたため、初めて儀式中の一部撮影が認められた。しかし、撮影は冒頭だけで、参列者もテレビ視聴者も儀式の進行は全く見られなかった。宮内庁が説明したように、陛下の所作が初めに悠紀(ゆき)殿で約3時間、続いて23日午前零時半から主基(すき)殿で、薄暗い灯明を頼りに進んでいたのだろう。

 即位の礼と比べると、参列者もひっそりとしたものだった。宮内庁は約900人を招待したが、出席者は733人。47都道府県知事も招待されたが、革新系を中心に16知事が欠席し、国会議員も前記のように野党の社、共、社民連が欠席。公明は招待枠の5人が集まらず、3人だけ参列した。さらに当日は悠紀殿に次ぐ主基殿での儀式が始まる前に、深夜で何も見えないということもあって3割以上が帰ってしまったのである。

 また、儀式の途中に、英国初の女性首相で11年余りの長期政権を担ったサッチャー氏が辞任表明という速報も流れた。

 今回から外国特派員の代表も取材に加わった。米通信社記者は「神秘的で古代の儀式という印象が強い。でも、何も見えなかったという印象の方が強かった」と述べていた。やはり「見えない大嘗祭」は内外に理解されにくい儀式のようだった。

 余波は続く。この夜もゲリラ事件が続発した。大嘗祭の開催時間帯を狙って、京都では桂離宮に迫撃弾が撃ち込まれ、全国各地で神社やJRの駅舎への放火などが相次いだ。大嘗宮は古来より大嘗祭の終了後には解体されるので、その前に一般公開が半月ほど行われたが、「大金をかけて、こんなに立派な殿舎をたくさん造り、すぐに壊すなんてもったいない」という声が見学者から出ていた。

トラックが放火され……

 12月に入ってようやくゲリラ事件も減り、警視庁は6日、8月から128日間に及んだロングランの警備を終了する。だが、この日の未明、京都市内でトラックが放火された。京都御所から即位の礼で天皇陛下が昇る高御座(たかみくら)運搬の際に使われた車両だった。

 一連の即位儀式を終えた天皇陛下(現上皇陛下)は、どのようなお気持ちだったか。12月23日の57歳の誕生日を前にした記者会見で、こう語った。

「関係者の尽力、国民の祝意に感謝したい。(厳しい警備で)市民生活に影響があったことを心苦しく思っています。誠に残念なことは、その間に尊い命が失われ、重傷者を含む負傷者が生じたことであります」

 また、即位の礼や大嘗祭が「国民主権や政教分離の原則に触れるのでは」との質問に対し、陛下は「政府で十分に検討したことで、私の意見は差し控えたい」「(信教の自由は)憲法の定めるところであり、大切にしなければならない」と述べるにとどまった。

 読売新聞が読者の投票で選ぶこの年の国内10大ニュースで、「即位の礼」は2位だった。わずかの差でトップになったのは、天皇家の二男、礼宮さまと川嶋紀子さん(現秋篠宮夫妻)の結婚(6月)だった。

 前年の1位は昭和天皇崩御である。2年連続で天皇家関連のニュースが最上位を占めたことからも、1987年の昭和天皇のご病気から始まるこの数年間は、国民が皇室の出来事に高い関心を持っていたことを物語っている。

 前編では、歴史的に“口外無用”とされてきた大嘗祭の「秘儀」について報じている。

斉藤勝久(さいとうかつひさ)
ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。近著に『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』(幻冬舎新書)など。

週刊新潮 2025年11月20日号掲載

特別読物「ドキュメント『平成の大嘗祭』口外無用とされた新天皇の“秘儀”はなぜ明かされたのか」より

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