「桂離宮に迫撃弾が」「神社やJRの駅舎への放火も」 「大嘗祭」挙行後にゲリラ事件が続発 平成の世相を振り返る
【全2回(前編/後編)の後編】
新天皇の即位後に挙行される大嘗祭(だいじょうさい)の宮中儀式は、「天皇が神になる儀式」といわれ、口外無用の“秘儀”とされてきた。政教分離を原則とする新憲法下、平成2年11月の「平成の大嘗祭」では、国費負担を巡って国論が二分。初めてその全貌が明かされる運びとなる。【斉藤勝久/ジャーナリスト】
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前編では、歴史的に“口外無用”とされてきた大嘗祭の「秘儀」について報じた。
毎年の宮中祭祀(さいし)として行われている新嘗祭(にいなめさい)の費用は、新憲法下では皇室の内廷費(国から支出されるが公金でなはい)から賄われている。しかし、大嘗祭は大規模な神社と同程度の大嘗宮を造営するので支出額の規模が違う。当時の内廷費は年間2億9000万円だが、今回の大嘗祭は22億5000万円が見込まれるのだ。内廷費では賄いきれず、挙行するには公費を支出するしかなかった。
しかし、大嘗祭に関する法規は何もない。反対運動も強くなり、まさに四面楚歌の政府側が政教分離原則に反することなく、公費支出を可能にするため引っ張り出してきたのが、40年前の内閣法制局見解である。桃山時代の建築様式の寺院を、地元自治体が公金を出して保存することが宗教のための公金支出を禁じた憲法89条に違反しないかという問題について、見解はこうだった。
「宗教上の建物であっても、文化財の維持保存の目的のために公金を使うことは、宗教上のためではないから差し支えない」
これを支えに政府は苦心の理論武装を行う。
「憲法は皇位の世襲を定めている。だから伝統的な皇位継承儀礼の大嘗祭には公的性格がある。その側面に着目すれば、宗教的性格を持った儀式であっても公費支出は許される」
この論理は憲法学者から反対された。「文化財はモノだが、大嘗祭は人が行う特殊な宗教活動で、同列には論じられない」と。公費の支出差し止めを訴える違憲訴訟も起こされたが、政府は大嘗祭を「皇室の公的行事」だとして公費支出の方針を変えることはなかった。
これに対し、即位の礼に参列する共産党以外の野党側は、民社党を除き、大嘗祭への不参加を決めた。社会党は欠席の理由について、
「国家行事である即位の礼と違い、大嘗祭は皇室行事である。昨年の大喪の礼でも、(神道色が強いとされた)葬場殿の儀には参列しなかったので、それも参考にして決めた」
と説明した。公明党は党としては欠席だが、大嘗祭への対応は国会議員個人の判断に任せるとした。
一方、国民の大嘗祭に関する関心は極めて低かった。世論調査によると、「大嘗祭の内容を知っている」のは25%で、「ほとんど知らない」が36%、「関心がない」が37%だった。即位の礼に関心がある人は53%で過半数に達したのとは対照的だ。華やかな即位の礼と違って、これまで公開されなかったのも原因と考えられる(1990年11月5日読売新聞朝刊)。
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