22億5000万円の国費が支出された「平成の大嘗祭」 “口外無用”とされてきた「秘儀」の内容とは

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【全2回(前編/後編)の前編】

 新天皇の即位後に挙行される大嘗祭(だいじょうさい)の宮中儀式は、「天皇が神になる儀式」といわれ、口外無用の“秘儀”とされてきた。政教分離を原則とする新憲法下、平成2年11月の「平成の大嘗祭」では、国費負担を巡って国論が二分。初めてその全貌が明かされる運びとなる。【斉藤勝久/ジャーナリスト】

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 即位儀礼のハイライトになった「正殿の儀」が昼間の式典であるのに対して、その10日後(平成2年11月22日)に行われた皇室祭祀(さいし)の最重要儀式「大嘗祭」は夜の“新天皇による秘祭”である。

 約1350年前の飛鳥時代に始まった皇室伝統行事で、即位した天皇が殿内にこもり、神々と夜を徹して対座することから、「天皇が神になる儀式」ともいわれてきた。戦争末期の国定修身教科書には、「(皇祖とされる)天照大神(あまてらすおおみかみ)と天皇が一体になる神事で、日本が神の国であることを明らかにするもの」と記されていた。

 政教分離を原則とする新憲法下、このような儀式を国費で賄うことができるのか。国論は二分された。

 当時、政府の「即位の礼準備委員会」の委員長を務めた森山真弓元官房長官は、皇室担当記者だった筆者の取材に率直に語っている。

「宗教性を否定できないので、政教分離の現憲法下で国の儀式として行うのはとても無理。では、どのようにして挙行費を出したらよいか、大嘗祭は最大の難問でした」

22億5000万円の挙行費

 予想された通り、挙行費22億5000万円の国費支出を巡っては、野党や、キリスト教団体、仏教界、学界、日弁連などからも「憲法違反だ」と強い反対論が出ていたからである。

 大嘗祭とは、新天皇がその年の新穀を天照大神など神々に供え、自らも食べて国の安寧と豊作に感謝し、今後も続くよう祈る農耕文化に根差した儀式である。毎年、11月23日に宮中で行われている皇室行事「新嘗祭(にいなめさい)」と本質的には同趣旨だが、大嘗祭は天皇の在位期間に1度しか執り行われない儀式なだけに、皇室にとっては特別な行事であったのだ。

 儀式の進行は神秘的な手順を踏む。まず、大嘗祭で使う新米の栽培場所(斎田〈さいでん〉)の都道府県を決める「斎田点定(てんてい)の儀」が、昭和天皇の喪が明けて翌月の2月8日に皇居内の神殿で行われた。亀(アオウミガメ)の甲羅を焼いて、そのひび割れの形で方位などの神意をうかがうという、古代に戻ったような錯覚を起こさせる作法だ。亀卜(きぼく)といい、奈良時代から伝わるものだ。

 斎田は、東西二つの田圃を選ぶことになっており、この亀卜によって東日本は秋田県、西日本は大分県の田圃に決まった。頻発する過激派のゲリラ事件を警戒して、斎田は刈り取りの直前まで決めないことにしていたが、両県はすぐに狙われて、秋田県護国神社(秋田市)が7月、社殿に仕掛けられた二つの時限爆弾の爆発により全焼した。

 戦前の旧皇室典範には「即位ノ礼及(ビ)大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」と定められ、一連の儀式とされていた。戦後、GHQの占領下で大嘗祭の記述が削除され、現行の皇室典範は「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」となった。このため、大嘗祭の法的根拠が消えて、戦前のような大掛かりな挙行はもう無理ではないかとみられることもあった。

 昭和天皇は生前、次の大嘗祭費用を心配して、内廷費(「天皇家のポケットマネー」ともいわれ、日常生活や祭祀などの費用として国から支出されるが公金ではない)を節約して積み立てようと考えていたという。

 第40代天武天皇(在位673~686年)から始まったとされる大嘗祭には、戦国時代、皇室が疲弊して費用が捻出(ねんしゅつ)できなくなると9代約220年間も中断し、江戸時代の1687年に再開されたという歴史がある。

 戦後に大嘗祭の根拠法がなくなり、開催場所はどうなるかの議論もあった。最終的に東京の皇居、東御苑の江戸城本丸跡と決まり、8月、大嘗祭の舞台となる大嘗宮の建設工事が始まった。これに合わせ、皇室関係の最重要警備を意味するコードネーム「A-1」の警視庁による警戒態勢が本格化することになる。

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