名門「上智大」初のドラフト指名「正木悠馬投手」 アラスカ育ちの帰国生がYouTubeでスライダーを学んだ「日本人メジャー投手」とは
新たな年が始まった。昨秋のドラフト会議でNPB球団の指名を受けた116名の選手たちも、新たな1年の幕開けとともにプロ野球選手としてのキャリアを歩み始めることになる。埼玉西武ライオンズから育成6位指名を受けた正木悠馬(まさき・ゆうま)投手は、学生生活の大半をアメリカで過ごした後に、上智大学経済学部に進学。大学から本格的に投手の練習に取り組み、同大学としては初のドラフト指名を受けた。最速153キロの速球や変化球の動画を見ながら“独学”で実力磨き、東都3部からプロ入りの夢を掴んだ正木投手に少年時代のエピソードを伺った。(全2回のうち第1回)【取材・文=白鳥純一】
【上智大初】今度は西武ドームのマウンドでも見たい 正木悠馬投手の爽やか笑顔
アラスカの地を駆け回った幼少期
埼玉西武ライオンズからドラフト指名を受け、「第一人者として下部リーグでプレーする選手の可能性を示せるように、全力で頑張っていきたい」と意気込む正木投手は2002年11月、姉に次ぐ正木家の長男として、神奈川県横浜市で産声を上げた。
父親の仕事の影響により、生後まもなくアラスカに移り住み、「冬は一面に雪が積もり、玄関の外に出るとキツネやワシが生活している自然豊かな環境」で過ごした正木投手。その幼少期は「極寒の寒さを全く気にせず、半袖で外を走り回っているような子供」だったとのこと。
その後、小学校1年生の時に日本に帰国すると、翌年には当時住んでいた東京都中央区の野球チームに加入。「時に上手くいかず、壁に直面することもありましたけど、困難を乗り越えることがとにかく楽しかった」と話す野球に魅了された正木少年は、水泳、バドミントン、陸上などのスポーツにも取り組みながらも実力を伸ばし、「小柄ながらも走力や小技の得意な内野手」として、チームで存在感を示した。
地元の中学に進学した後は、知人の誘いで練馬のチームに加入。一方で、学校のクラブ活動では陸上競技に打ち込み、中学1年生で出場した区大会では、1500メートルの部で1位に輝いた。
高校時代はほぼストレートしか投げなかった
かたや勉強面では、慣れ親しんだ英語に加えて、国語や数学も好成績をあげて学年上位に食い込むも、理科と社会で苦戦を強いられたそう。
勉強に、スポーツにと力を注ぐ日々を過ごしたが、中学2年の時には父のアメリカ転勤が決まったことを受け、正木投手は再び日本を離れ、高校卒業まで西海岸最北端のワシントン州で青春時代を過ごすこととなった。
「引越し直後は、自分でも驚くほど英語を忘れてしまっていて、コミュニケーションを取る際に多少の苦労はありました」
7年ぶりの海外生活に最初はやや戸惑ったそうだが、それでも持ち前の積極的な性格や、地元の野球チームに加わったことが功を奏し、正木投手はすぐに新しい環境に馴染み、中学時代は内野手、高校時代は肩の強さを生かして、野手だけでなく投手も任され、仲間と共に思いのままに野球を楽しんだ。
「当時はストレートしか投げられなかったので、今思うと『投手』を名乗れるレベルではなかったような気がしています」
正木投手は自身のことを謙遜気味に振り返るが、それでも練習試合でマウンドに上がった時に味わった打者を抑える喜びは、のちの投手としての活躍に通じているそう。
また、同時期にはシアトル・マリナーズが本拠地とするT-モバイル・パークに出向き、当時ロサンゼルス・エンゼルス(2018年~2023年)に在籍し、二刀流の活躍を見せていた大谷翔平選手の活躍を現地で観たことも。特に豪速球で三振を量産するウォーカー・ビューラー投手(現、フィラデルフィア・フィリーズ、当時ロサンゼルス・ドジャース)の姿に魅了され、その姿に憧れを抱いたことも、正木投手の野球への情熱を掻き立てた。
[1/3ページ]



