「スキャンダルはチャンスなんだぞ!」…引退「棚橋弘至」が憧れた「アントニオ猪木」からの金言

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「うじうじするんじゃねーよ!」

 だが、11月28日、棚橋の行く末が暗転する。交際女性に、痴情のもつれの末、背中を刺されたのだった。

 一命はとりとめ、早期に退院出来たものの、この出来事は地上波のニュースでも大きく報道され、周囲は紛糾した。棚橋を可愛がっていたあるフロントは、「新日本を背負って立つという自覚が欠落しているから、こういうことになるんだよ!」と激怒。時のタッグパートナーは、「棚橋、お前のせいで無茶苦茶だよ!」とマイクで叫び、現場監督だった蝶野正洋は、復帰へのエールを送りつつも、「新日本プロレスとそのお客さんに迷惑をかけたということは否めない」と冷静にコメントした。何より、棚橋自身が、今後を絶望視していた。

 だが、そんな中、笑顔で棚橋を迎えた人物がいた。猪木だった。

「お前、良かったじゃないか。金をかけずに有名になれたんだ(笑)」

 新日本プロレスの始祖に、余りにも意外な言葉をかけられ、唖然とする棚橋に、猪木は続けた。

「うじうじするんじゃねーよ! スキャンダルは、俺たちにとってはチャンスなんだぞ!今、誰もがお前に注目してる……。だからこそ、それを自分のパワーに変えて行くんだ!」

 このやりとりに関し、棚橋自身の述懐が残っている。

〈今までが順調だったので、打たれ弱かったのかもしれません。いつもみんなに悪く思われないようにと考えて。でも今回のことで、言いたいヤツには言わせておけと、いい意味でずぶとくなれました。(中略)開き直れた。事件で世間に名前を憶えてもらった。レスラーとしてプラスになったと思えるようになりました。猪木さんの『スキャンダルを活かせ』の言葉通りです〉(『日刊スポーツ』2003年2月12日付)。

 以降の棚橋のアクションは目覚ましく、また、敢然としていた。12月20日に復帰会見をし、上半身裸になって、負った背中の傷を見せた。3日後には猪木に呼びされる形で、なんとPRIDEのリングに登場。しかも新日本のジャージ姿だった。「ご迷惑をおかけしました……」と頭を下げると、猪木は笑顔で返した。

「迷惑なんて、かかってねーよ!(笑)」

 年が明けると、30歳以下の若手限定の王座、「U-30王座」の設立を提唱し、これが実現。自らが初代王者へと勝ち抜き、盛り上げた。6月にはIWGPタッグ王座を、12月には対抗団体であるNOAHのGHCタッグ王座を初奪取(パートナーはそれぞれ吉江豊、永田裕志)。この年の「プロレス大賞」の「敢闘賞」を受賞した。打って変わっての大躍進だが、棚橋自身は、授賞式の際、こう総括している。

「(僕は)プロレスというジャンルで、生かされた人間」(2004年1月4日)

 だからこそ、棚橋のプロレス愛は本物だった。2005年11月、新日本プロレスが株式会社ユークスに身売りされると、その会見の場で言った。

「俺1人でも盛り上げて行きますよ。俺が新日本プロレスだ」

 その宣言に嘘は無かった。先頭に立ち、大会のプロモーションに文字通り東奔西走。あのタフな先輩、天山広吉が「タナちゃん、余り無理しちゃアカンで……。疲れは一気に来たらアウトやし……」と心配するほどだった。だが、プロレスのために身を粉にする覚悟だった。

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