W杯イヤー幕開け「皇室とサッカー」の深い縁…「勝利の女神」高円宮妃久子さまは再び微笑まれるか?
ドラクロワの名画
名誉総裁ご着任後は日本代表戦だけでなく、Jリーグ公式戦はもちろん、高円宮杯の試合にも頻繁に足を運ばれ、選手やスタッフらを激励されてきた。W杯の現地観戦はカタール大会が7度目となり、第2戦のコスタリカ戦と第3戦のスペイン戦に応援のため駆け付けたほか、キャンプ地にも足を向けられ、森保ジャパンのメンバーらを元気付けられた。
スペイン戦での久子さまは、日本代表エンブレムのネイルをして応援。勝利の瞬間は右手を上げて笑顔でガッツポーズされたが、そのご様子はフランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワの名作で、パリのルーブル美術館所蔵の「民衆を導く自由の女神」と重ねられ、称讃された。
実は、サッカーと皇室の歴史はもっと遥かに古いことは、あまり知られていない。
日韓大会や、日本が初出場を果たしたフランス大会で代表チームが実際に使用したサッカーボールが奉納されている神社が京都市上京区にある。この白峯神宮はスポーツの鎮守として知られ、1868年の創建で主祭神は崇徳天皇と淳仁天皇。その敷地は蹴鞠の宗家だった飛鳥井家の邸宅跡ということもあって、蹴鞠そのものの守護神が摂社(境内の神社)には祀られており、蹴鞠の碑が建っている。
蹴鞠は蹴球(サッカー)のルーツとの説もあり、白峯神宮の境内にはJリーグや日本代表の選手が奉納したボールが多数飾られ、多くの代表ファンも必勝祈願に訪れている。毎年4月と7月には蹴鞠奉納が、例祭の行事の一環で行われている。蹴鞠は1400年前に中国から伝えられたといわれる球戯で、日本では独自の発展を遂げてきた。
皇室と蹴鞠の接点を物語る上で、欠かせないエピソードがある。645年の「大化の改新」の立て役者とされる中大兄皇子(後の天智天皇)と藤原(中臣)鎌足が、奈良の旧法興寺(飛鳥寺)で行ったのが最初とされ、『日本書紀』にも記述がある。本文には「中大兄皇子が毱(鞠)を打った際に、皇子の皮鞋(靴)が鞠とともに脱げ落ちたのを中臣鎌足が拾ったのがきっかけで、二人は親しくなった」と綴られている。
宮内庁関係者は「大化の改新の経緯には諸説ありますが、蹴鞠がこの歴史的な政治改革の起点になった可能性があるというわけです」と語る。また安徳天皇の弟で、1198年に生前退位した後鳥羽上皇は蹴鞠の名手だったとの逸話も残る。29歳だった1208年、所有していた水無瀬離宮に蹴鞠の達人たちを集め、蹴鞠の会を開催。後鳥羽上皇は会の当日、蹴鞠を落とさずに2000回蹴り続けることに成功したと言われる。
前出の宮内庁関係者は「詳細は分かりませんが、後鳥羽上皇は、いわゆるリフティングの名人だったのでしょう」と推察する。
神武東征とJFA
京都御所には蹴鞠をしている様子が描かれた杉戸絵があり、御所内の「小御所」とその北側にある「御学問所」の間にある小庭は「蹴鞠の庭」と呼ばれている。この場所で行われた蹴鞠の催しを、御学問所から歴代の天皇が当時、観覧していたとされる。
現在の蹴鞠は1907年に明治天皇の下賜金によって有志による保存会「蹴鞠保存会」が結成され、日本の伝統文化として厚く保護。京都御所で春と秋に行われる特別公開「宮廷文化の紹介」の際には蹴鞠が披露されている。京都に鎮座する皇室ゆかりの下鴨神社(賀茂御祖神社)では毎年1月4日に「蹴鞠初めの儀」が伝統行事として執り行われてきた。
こうした皇室との様々な縁もあって、JFAのシンボルマークは、神武天皇の“東征”を導いたとされる八咫烏となっている。
高円宮さまが学生時代に留学先として選ばれ、残念ながら在日本大使館で病に倒れられたカナダで今年、初めてW杯が行われる。久子さまはJFA名誉総裁として今回も観戦に行かれるものとみられ、3女の守谷絢子さんも日加協会の名誉総裁として訪問されることも検討されている。日加協会の名誉総裁職は高円宮さまから久子さま、そして2018年に絢子さんへと引き継がれたものだ。彼の地でサムライブルーが悲願のベスト8以上を達成できるかどうか。高円宮さまも、天から固唾をのんで見守られることだろう。
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