ME:I大量脱退の背景に「オーディション後遺症」 ファンは熱中できる一方、アイドルの負担が大きすぎるシステムか
「落ちたら終わり」ではないが、「選ばれたら安泰」でもない 「内部抗争」が生まれる構造とtimeleszプロジェクトとの共通点
この構図は、ME:Iに限った話ではない。例えばtimeleszプロジェクトでデビューした篠塚大輝さんを巡るバッシングも、単なる本人の失言問題として片付けられがちだが、背景には「オーディションで別の候補者を推していたファン」や「他の生え抜きのSTARTOタレント推し」と思しき層からの反発、いわば「内部ファン同士のいさかい」も指摘されている。
視聴者参加型オーディションは、ファンを強固につなぎとめる一方で、「選ばれた側」と「選ばれなかった側」を恒常的に生み出す。デビューは勝利条件の達成であると同時に、新たな火種の発生でもあるのだ。
そしてテレビ局もまた、候補者同士の対立や感情の爆発を「撮れ高」として追いかける。当事者同士で解決したはずの小さな衝突が、思わぬタイミングでの炎上の種火となることもある。
さらに厄介なのは、デビュー後の環境だ。SNS時代においては、事務所に守られるだけでは存在感を保てず、メンバー自身がセルフブランディングとして自己発信を続けなければ、グループ内で埋もれてしまう。だが発信すれば炎上のリスクが高まり、黙れば「やる気がない」と言われる。若い才能に課される要求は、あまりにも過酷である。
推し活ブームは、応援する側にとっては楽しく、熱中できる文化だ。しかしその反対の、応援される側がどれほどの緊張と不安を抱えているのかは、あまり語られてこなかった。
芸能界サバイバル番組の本家である韓国のエンタメ業界では、番組出身グループに対する過剰なアンチ行為や、メンバーのメンタル不調が社会問題化してきた。しかし日本は番組の形式は輸入しながらも、出演者のケアについてはまだまだ対応が十分とはいえないのではないだろうか。
芸能界サバイバル番組人気の陰で「運営ガチャ」も 才能より環境に左右される不条理さ
近年のオーディション番組は、もはや素人発掘の場ではない。ファイナル審査まで残る候補者の多くは、過去に別のアイドルグループでデビュー経験があったり、研究生としてレッスンを積んできたりと、すでに一定レベルまで完成されている。だからこそ、「別の番組では落ちた候補者がそこでファンをつかみ、別のオーディションでデビューを果たす」という「リベンジ」の物語も珍しくなくなった。
しかし、実力が拮抗している時代だからこそ、デビュー後の明暗を分けるのは本人以外の要素だったりもする。その代表例が、「運営ガチャ」だ。
どれだけ努力し、人気を集めてデビューしても、その後うまくいくかは所属事務所の運営能力に大きく左右される。育成ノウハウ、メンタルケア、発信戦略、トラブル対応。これらがかみ合わなければ、才能は簡単に消耗する。
場合によっては、「そのオーディションでは落ちてしまったが、別の形でデビューした人が結果的に売れた」という逆転現象すら起きる。ME:Iを生み出した「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS」のファイナリストとなるも惜しくも落選、しかし今ではHANAのメンバーとしてデビューしているMOMOKAさんはその一人だ。
オーディション番組は、人生を一気に輝かせる魔法である。ただ、魔法はいつか解けるもの。そのあとに残るのが、競争だけなのか、物語なのかで未来は変わる。
番組が悪いわけでも、推し活が悪いわけでもない。でも「オーディション後遺症」に苦しむ若き歌手たちに必要なのは、クライマックスに駆り立てる熱狂的な声援より、ハッピーエンドを気長に待つ静かな時間なのかもしれない。選ばれた瞬間より、その後をどう気長に、優しい目で見守ることができるか。そこに、エンタメとファンが共に成熟するヒントがあるのではないだろうか。







