東大生ランナーが箱根駅伝に“2度目の出場” 「秋吉拓真選手」が高3夏まで部活を続けながら“東大に現役合格”を果たした秘訣

スポーツ

  • ブックマーク

毎日サッカーボールを追い続けていた小学生時代

 2003年5月に千葉県松戸市で生まれた秋吉選手は、小学校1年生の時に父の転勤により、甲子園球場に近い兵庫県の西宮市に移住し、高校卒業までこの地で過ごすことになる。

「授業が終わって家に帰るとひとまず宿題をすぐに終え、公園にみんなを連れ出して、毎日サッカーボールを蹴っているような子供でした」

 幼少期をそう振り返る秋吉選手は、5歳の時にサッカーと出会い、小学校時代はDFとしてプレー。中学時代は守備的MFに転向し、陸上を本格的に始めるまでボールを追い続けていたという。

 そして小学校5年生の時には、両親の勧めもあって予備校に通い始めることに。「当初は中学受験をするつもりはなかった」そうだが、外で遊びたいことを理由に勉強の習慣が身についていたことや、各科目とも満遍なく点数が取れていたこともあって、兵庫県の難関校として知られる甲陽学院(偏差値70/みんなの中学情報調べ)の受験を決意する。だが、合格には惜しくも手が届かなかった。

 結果的に「自主性に任せてくれる校風が自分に合っていた」という第二志望の六甲学院中学(偏差値58~65/みんなの中学情報調べ)に合格して進学を決めるも、秋吉選手は人生で初めての挫折を味わった。

「今回は残念だったけど、6年後に東京大学を目指せばいいじゃない」

 両親に何気なくかけられた慰めの言葉が、秋吉選手のその後の人生に影響を及ぼすことになろうとは、この時は微塵も思わなかった。

井の中の蛙だった高校時代

 中学ではサッカー部に入り、楽しくプレーを続けるも、一方では自身の伸び悩みを感じていた。そんなやり場のない漠然とした思いを抱えて過ごしていた中学2年生の時、30kmの距離を走る「強歩大会」という学内の一大イベントをきっかけに、大きな転機が訪れる。

 この年のレースで、高校2年生までの全生徒が出場する中で、全校1位を獲得。程なくして「サッカーよりも陸上を頑張った方が、上のレベルで戦えるんじゃないか?」と考えた秋吉選手はサッカーに見切りをつけ、高校からは陸上部に転部し、本格的に競技に打ち込む決断を下した。

 進学校で、周囲の競技に懸ける思いがさほど強くなかったこともあり、入部してまもなくチームを牽引する存在になった秋吉選手だったが、高校1年で出場した5000メートルのレース(兵庫県高等学校陸上競技地区別記録会・神戸地区大会)では、強豪校・須磨学園の選手に周回遅れにさせられ、衝撃と悔しさも味わった。

「最初は『ここまで実力が違うんだ』と驚かされたことを覚えていますが、当時は練習するほどにタイムが伸びていくような状況だったので、自分自身への期待しか感じていませんでした」と振り返るように、やがて彼らを追い抜ける日々が来ると信じて前向きな日々を過ごし、高校3年の時には5000メートルのタイムは14分台に。「良い意味で井の中の蛙だった」と当時を振り返る秋吉選手は、後に大きな志を抱いて東大陸上部の門を叩くこととなる。

次ページ:継続力で学校では学年1位

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。