2026年は60年ぶりの「丙午(ひのえうま)」 出生率25%減の悪夢は再来するか?

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激減した丙午生まれ

《戦後はグンと民主化や文明開化が行きとどいて、古来の因習が少くなり、ヒノエウマの迷信なぞはもう問題にならないように一口に言われがちだが、果してそうか、甚だしく疑問である。》(同前)

 しかし、安吾の予感は当たった。

 前回の丙午は1966(昭和41)年。この10年前となる56年の「経済白書」では“もはや戦後ではない”と宣言され、64年には東京オリンピックも開催された。テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれた高度経済成長期のど真ん中である。ビートルズも来日した66年に、300年の時を超え迷信はまだ生き続けていた。それどころか、史上最も影響を受けた年と言われている。

 この年の12月、朝日新聞には「生きていた『丙午』」のタイトルが踊った。一部を抜粋すると――、

《ことしは「丙午」に当り、前回の「丙午」の明治三十九年も、その前年より約四%出生が少なかったことから、一〇%程度の減少が見込まれていたが、実際は予想を遙かに上回り、迷信の根強さを改めて見せつけた。》(朝日新聞:1966年12月25日))

 実際、66年の出生数は136万974人となった。2024年の68万6173人と比べると約2倍だから、十分に子どもが生まれているように感じるかもしれない。ところが、この前年の65年は約182万人が生まれていたので、《一〇%程度》どころか25%、46万人も激減したことになる。おかげで、この学年だけクラスが1つ減った小学校も少なくなかった。その反動は翌67年(丁未=ひのとひつじ)にやってきた。丙午よりも30%多い約194万人が生まれたのだ。67年生まれは言う。

翌年生まれに反動が

「私たちは丙午の先輩を“戦っていない世代”なんて呼んだりしていますが、実際のところ羨ましかったですよ。まず彼らは人数が少ないから、高校受験、大学受験の競争率が低い。ストレートで大学に入学して卒業すれば、世の中はバブル景気の真っ盛りで“空前の売り手市場”と言われていました。実際、彼らの大学卒業は89(平成元)年ですが、すでに前年の時点で内定者が続出していました。当然、就職後はバブルの恩恵も受けたことでしょう」

 人数の少なさは、丙午生まれには幸いしたのだ。

「一方、1学年下の私たちは、最初の子を望む夫婦が丙午の出産を控えたためか、クラスには長男・長女がやたら多かった。第二次ベビーブームより早い生まれにもかかわらず、ベビー・ラッシュと言われました。人数が多いから受験は高倍率となり、過去のデータがないために担任の教師は『お前たちはどうなるかわからん』と平気な顔をして言っていました。“受験地獄”なんて記事も出ていましたね。そして大学を卒業する頃にはバブルが下火になっており、90年にはバブル崩壊相場も起きた。浪人した同級生は、バブルに乗り遅れたどころか就職難となっていました。丙午が恨めしいですよ」

 たかが迷信と侮れない状況が、60年前にあったのだ。

 八百屋お七が生まれてから360年となる2026年、迷信はまだ残っているのだろうか。さすがにインターネットもAI技術も進んだ令和の世だから、それはないと考えたい。そうでなければ、少子化がますます進んでしまうことに――。

デイリー新潮編集部

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