20代で離婚、プータローに…43歳アナ、全部正直に話してつかんだ「NHK沖縄キャスター」

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沖縄は大好き

 実は、仕事が一時的に減った時期もありました。半年後には元に戻りましたが、その代わりに「外で司会などの仕事をしてもいいよ」と言われたので、この機会に披露宴の司会などを始めて、フリーランスとしての仕事を準備し始めたんです。

 当時、沖縄は大好きで、ずっと住もうと決めていました。それで、自分がやりたいことができるフリーランスになって、個性を出していきたいと思って、2015年に契約満了という形でフリーに転身しました。

 フリーになって、すぐにラジオ沖縄に「番組に出させて ください」とお願いに行きました。すると、ちょうど空きがあったみたいで、「いいよ」という感じで、仕事をいただけたんです。その後、2017年にラジオ沖縄に社員として、入社しました。

 沖縄に来た当初は、沖縄のこと自体を語れませんでした。文化や歴史など、自分が知らないことが多くて、簡単には話せないなと思ったんです。でも、取材をして年齢を重ねていくうちに、次第にしゃべれるようになりました。知らないことを知る努力をすれば大丈夫なんだなと実感しました。

 ラジオは、パーソナルな部分を個性として認めてくれる場所です。NHK時代は個性を出すことが難しかったので、ラジオの自由な世界は本当に魅力的でした。

 リスナーさんが目の前にいて、メールが届く。テレビだとこのニュースを聞いているのが 誰かは想像 できませんでしたが、ラジオだと目の前の人 のことが想像できるので、楽しいですね。

 ラジオの仕事を通して、次第に「自分は自分でいいんだ」という自信を身につけることもできました。リスナーが目の前にいると感じる ことで、自分の気持ちを素直に伝えることができるようになったんです。

 ラジオってマイクと録音機を持っていれば、取材に行けるんですよね。テレビのように取材のハードルがそれほど高くはなくて、その場でお会いした人に話を聞くことができるんです。

 今はラジオで声だけの仕事をしているので、声だけじゃない表現をどれだけ広げられるのかに、挑戦してみたかったので、今回の水着グラビアの仕事を受けました。そうしたことも自由にさせてくれる会社には感謝しかないですね。挑戦をしたいと思ったら、その挑戦をさせてくれる。アナウンサーだからといって止めない。個性として認めてくれているんです。

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 第4回【43歳・元NHKキャスター、大きな胸が原因で「苦情殺到」 ネットで毎日晒され、“自宅待機”に追い込まれた過去】では、竹中さんが自身の胸のことについて語っている。

竹中知華(たけなか・ともか)
1982年、広島県呉市出身。青森朝日放送などを経て、2008年からNHK沖縄の契約キャスター。15年にフリーに。17年、ラジオ沖縄に入社。現在、「華華天国」でパーソナリティを務める。

デイリー新潮編集部

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