20代で離婚、プータローに…43歳アナ、全部正直に話してつかんだ「NHK沖縄キャスター」

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竹中知華アナ・インタビュー

 水着グラビアが話題のラジオ沖縄のフリーアナウンサー・竹中知華さん(43)。地方の理系大学からアナウンサーという狭き門を目指し、厳しい 就職活動を乗り越えた。その後、地方の放送局を経て、NHK沖縄の契約キャスターに。現在はラジオ沖縄でパーソナリティを務めている。激動のアナウンサー人生を振り返ってもらった。(全4回の第3回)

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 最初に就職した青森朝日放送では、入社してすぐに、5分間のニュースや、夕方の天気予報、商品を紹介する番組を担当しました。取材にも行って、「リンゴの収穫が始まりました」などの“やわネタ”を紹介することもありました。

 その後、岩手朝日テレビで、フリーでリポーターとして働きました。そのころ、結婚していたんですが その後、離婚を経験しています。そうしたプライベートの事情もあって、いったん地元の広島に戻ることになったんです。

 当時20代半ばで、プータローです。生活のため、お土産屋さんでアルバイトをしながら、再びアナウンサーを目指しました。ただ、地方局での勤務経験が短かったため、再就職は本当に難しかったですね。何社も入社試験を受けましたが、面接で、なぜ辞めて地元に戻ったかを言えなかったです。「結婚して、離婚したから」という理由です 。

 でも、NHK沖縄の契約キャスターの面接を受けたときに、思い切って「結婚して、離婚しました」と全部正直に話してみたんです。そうしたら、内定をいただけました。

 それで、2008年からNHK沖縄の契約キャスターになったんです。5分間のニュースを読むことを7年間続けました。沖縄のニュースを読むこと自体が楽しかったですし、「こんな取材に行きたい」と言ったら行かせてもらえました。

 ただ、私は正社員の「アナウンサー」ではなくて、「キャスター」でした。1年ごとに契約 更新があったんです。年数が決まっていたわけではなく、続けようと思えば続けられました。でも、ある日突然、契約を切られることがあるかもしれない。いつかは辞めて自分の将来を考えなければならない時が来ると思っていました。

 NHKでは契約キャスターと正社員で、できる仕事が明確に分けられていました。契約キャスターは、ディレクターの考えた台本を一言一句 丸暗記して読むなど、自分の個性を出すことが難しい場所でした。そうした制限が、だんだん苦しいと感じるようになってきたんです。

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