戦争ノンフィクションの金字塔『滄海よ眠れ』が復刊 ミッドウェー海戦の日米の全戦死者「3418名」を特定した「澤地久枝さん」執念の作業

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戦死者「3418名」を、どうやって確定させたのか。

「『滄海よ眠れ』が、戦争ノンフィクションの金字塔と呼ばれる理由は、三つあると思います」

 と、先の元週刊新潮記者氏はいう。

「まず第一に、ミッドウェー海戦における、日米の全戦死者の数、氏名、年齢、出身地などを徹底的に調べ、考えうる限り最も正確な戦死者像を示したことです」

 新装版文庫の各巻末に掲載されているデータによれば、日本側戦死者総数3056名(搭乗員121名、非搭乗員2935名)、アメリカ側戦死者総数362名(搭乗員208名、非搭乗員154名)。たった3日間に、日米合計「3418名」もが戦死したのである。

 実は、それまで、この海戦における正確な戦死者数は、よくわかっていなかった。よって、取材は、まず、全戦死者の数と氏名を確定することからはじまった。

 その取材助手になったのが、当時フリーライターだった石村博子さんだ。ちなみに石村さんは、2024年7月に刊行された『脱露 シベリア民間人抑留、凍土からの帰還』(KADOKAWA)で、2025年の第47回講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞している。その石村さんの話。

「戦死者を数字ではなく、一人ひとりの人間として蘇らせたい。一人という数字には、その人の人生が込められていることを実証し明らかにしていくことが、澤地さんが最初から抱いていた命題でした。私に与えられたのは全戦死者の特定作業。最低、全員の生年月日を突き止めてほしいということでした」

 まず石村さんは、戦後処理の一環で戦死者追悼などを統括していた厚生省援護局(当時の名称)に行った。

「援護局には、国としての、公式の戦死者名簿があるはずなんです。しかし、ほとんど協力してくれませんでした」

 では、いったい、どうやって全戦死者を特定したのか。

「軍人は戦死すると叙勲の対象となり、その氏名が新聞に載ることがわかりました。そこで国会図書館へ通い、当時の新聞のバックナンバーを調べていくと、ミッドウェー海戦の戦死者と推定できる大量の叙勲者の氏名が載っている紙面を見つけたのです」

 もちろん、新聞には、氏名以外の詳しい情報は載っていない。

「氏名を書き写したら、次は靖国神社へ行きました。あそこは全戦死者の御霊が祀られており、住所や本籍地といった必要最小限の資料が保管されているのです。新聞掲載の氏名と靖国神社から提供された資料をつけあわせ、一人ひとりを特定していきました」

 こうした気の遠くなるような作業によって、「3056名」の日本側戦死者が特定された。

 では、アメリカ側の戦死者は、どうやって特定されたのか。アメリカ取材に協力したのは、先述の佐藤由紀さんである。

「毎日新聞のワシントン支局をベースに、多い時で数人の米国人の専門調査員が公文書館、国防総省、海軍省などで調査にあたっていました。米国でも公式記録は完全ではなく、海兵隊や陸軍の戦死者は当時の戦闘詳報から一人ひとりひろうという作業になりました。1981年の最初の米国取材には『サンデー毎日』の鳥越俊太郎記者が同行し、空母ヨークタウン(ミッドウェー海戦で沈没)の戦友会に出席して協力を要請しています。全米の地方紙に、戦死者と遺族についての情報提供を求める記事を掲載してもらい、それで遺族と連絡が取れたケースも少なくありませんでした」

 こうして、アメリカ側の公式発表だった戦死者数「およそ307名」が、実は「362名」だったことが判明するのである。

【第2回は「米兵の遺族にも“軍神”の愛人にも取材を尽くす…『滄海よ眠れ』澤地久枝さんが“私は『鬼』であった”と語った理由」戦闘の記録だけでなく、人間ドラマにも踏み込んだ作品の舞台裏】

取材・写真協力/毎日新聞出版図書編集部、石村博子さん、佐藤由紀さん

森重良太(もりしげ・りょうた)
1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。

デイリー新潮編集部

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