浜崎あゆみは「悲劇のヒロイン」を降りられる? 来年の「年女」二人を占う

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 来年の干支(えと)は午。ライターの冨士海ネコ氏が、「年女」を迎える二人のアーティストの来し方を比較しながら、「女性スターの年齢の重ね方」について読み解く。

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 来年の干支は午。昔から「丙午(ひのえうま)生まれの女性は気が強い」などと語られてきたが、時代をけん引してきた女性スターたちを見渡すと、そのイメージはあながち的外れでもない。還暦を迎える1966年生まれには、斉藤由貴さんや鈴木保奈美さん、RIKACOさんなど個性の強い女性がずらり。そして最も象徴的な存在が、キョンキョンこと小泉今日子さんだろう。

 アイドルとして一世を風靡しながら、その枠に収まらず、女優、歌手、文筆、プロデュース業へと軽やかに越境してきたセルフプロデュースの達人。豊原功補さんとの不倫公表という、当時としては致命傷にもなりかねない選択で激しい批判を浴びながらも、キョンキョンブランドは失墜しなかった。むしろ、第一線のプロデューサーやクリエイター、後輩女優たちから「憧れの人」として名を挙げられ続けている。その姿は、まさに「午年女性の星」と呼びたくなる。

 一方で、同じ午年、キョンキョンの一回り下にあたる浜崎あゆみさんもまた、時代を代表するカリスマだ。紛れもなく「平成の顔」だったあゆ。歌だけでなく、ファッション、ヘアスタイル、生き方までがコピーされ、「あゆになりたい」女性が街に溢れた。セルフプロデュース能力の高さという点では、キョンキョンと肩を並べる。

 また恋愛の華やかさという点も通じるところがある。二人とも、当時の人気ジャニーズタレントとの熱愛が報じられた。キョンキョンと亀梨和也さん、あゆと長瀬智也さん。スター同士の恋は、時代の記憶として今も語り継がれている。

「世間」とどう向き合うか 沈黙を選ぶキョンキョン、語らずにいられないあゆ

 しかし、似ているところばかりではなく、真逆なところもある。それは「世間が求めるカリスマイメージ」との付き合い方である。

 清純派アイドルが求められた時代に、自己判断でベリーショートにしてきたキョンキョンの逸話は有名だ。世間の期待や固定観念に反発することを恐れず、時に笑い飛ばし、時に裏切りながら自分の企画や個性を通してきた。肌に刻まれる皺も、愛煙家であることも隠さず、年齢とともに変わる自分をそのままさらけ出す。一方で、バラエティー番組とは「うそばかりだから出ない」と線を引く。自分のことを必要以上に語り過ぎず、共感や同情からは慎重に距離を置くようにしているのに、伝わってくるまっすぐさこそが、キョンキョンの最大の武器である。

 対照的に、「まっすぐ過ぎて不器用な私」をずっと差し出し続けているのがあゆではないだろうか。悲愴な表情のリハーサル風景写真を投稿し、ネットニュースになると分かっているはずなのに意味深な文章をつづらずにいられない。ストイックなエンターテイナーとしてのプライドを語る一方で、バラエティー番組などでは今でも「世間が思うあゆは本当の私じゃない」「それでも求められる限り耐え続ける」という発言をして周囲の注目を集める。あれだけ時代のカリスマとして愛され、今も熱狂的なファンがいるのに、どこか悲劇のヒロイン然としたイメージが拭い切れないのである。

 キョンキョンにも、あゆにも、強烈な自意識を感じる。ただ、その表れ方が違う。キョンキョンは、良くも悪くも「世間のお人形」と化した自分を一度引き受けた上で、そこから距離を取るすべを身に付けた。一方のあゆは、自己憐憫をにじませながらファンの同情と共感を引き寄せる戦略を取り続け、一方のあゆは、自己憐憫をまといながらファンの同情と共感を引き寄せる戦略を取り続ける。なぜかいつも「きょとん」とした表情で写るあゆの写真を見るたび、あのセルフプロデュース力の鬼がなぜそんな小手先の演技を、と同世代の筆者は歯がゆく思ってしまうのだ。

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