今では信じられないが…かつて「クリスマスイブをひとりで過ごす」のは恥ずかしいことだった…「シングルベル」時代の空気感を振り返る

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 今となっては、家族でちょっとしたご馳走を食べる日、程度の意味合いしかないクリスマスイブ。だが、1980年代後半から2000年頃までの日本では、若者にとって「自分に価値があるかどうか」を識別される奇妙な日だった。一緒に過ごす異性がいる人間は価値があり、そうでない者は恥ずかしさを感じ、他者からは“無価値の者”という扱いをされていたのである。しかし、今やクリスマスイブは先述の通り、ちょっとだけ特別感のある、普通の一夜ということになっている。これが本来あるべき姿だし、“イブを一緒に過ごす相手がいない”というだけで妙な差別を受けたり、劣等感に苛まれなければならなかったのが、異常なことだったのだ。

 本稿では、当時のクリスマスイブをめぐる奇妙な空気感を振り返ってみる。なお、相手がいない人間は、自分のことを「ジングルベル」ならぬ「シングルベル」と呼んでいた。【取材・文=中川淳一郎】

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 私は1993年に大学1年生になったが、この年の12月、同級生が密かに焦り始める様子が見られた。交際相手がいる者は泰然としていたのだが、そうでない者は出会いを求めて合コンに参加したり、新たなバイトを始めたりした。私が通っていた大学は男女比が8:1とかなりいびつで、学内で交際相手を見つけるのはかなり難しかったのである。同じ第二外国語を履修する学生が「クラスメイト」として存在していたが、週2回会う時のお約束は「お前、イブはどうするの?」と互いに聞くことだった。それに対しては、

「まぁ、色々あるよ……」

 というのが模範解答で、互いに牽制し合うのである。12月14日、イブまで残り10日となった時からは焦りの度合いが高まり、さらに牽制度合いは増す。講義が終わったらすぐに立ち上がり教室を後にし、あたかも自分はやることがたくさんあるかのように振る舞う。だが、やることはといえば、単に家に帰ってスーパーファミコンをするくらいなのだが。

 20日を過ぎるともう絶望的な気持ちになり、9割がたは諦め、ついにやってきた24日、この日の夕方、街に出る。ナンパなど経験なく、そんな勇気もないくせにナンパをしようとするのだが、当然声をかけることなどできない。一人で歩く女性がいたら「私でよろしければご一緒しませんか。私に声をかけてください!」と心で念じるも、彼女だって予定はあるわけだ。臆病だから逆ナンを待つのだが、人生はそんなに都合良くない。

 結局同じことを考えていた同級生と街中でバッタリと会い「あれ、お前なにやってるんだ?」「お前こそ」となり、そのまま安居酒屋へ飲みに行き「ハハハハハ、イブなんてクソくらえだ!」と2人してやけ酒をあおる。

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