ビッグマウスが仇に…入団会見で話題を呼んだ新人選手の“大胆発言”
12月には各球団の新人選手の入団発表が賑やかに行われている。仮契約や会見の席では、彼らのプロ入り後の抱負も披露されるのがお約束であり、過去には新聞の見出しを飾るような大胆発言や珍発言で話題になった選手も多数に上る。【久保田龍雄/ライター】
野村監督をギャフンと言わせたい
まずは1998年のドラフトで3球団の競合指名の末、西武が交渉権を獲得した“平成の怪物”松坂大輔(横浜高)から紹介しよう。
当初は意中の横浜ではなかったことから、プロ入りを決意するまで時間がかかったが、同年12月27日の西武入団会見では、「プロでやるからには二桁勝って新人王を獲りたい。(オリックスの)イチロー選手には直球で押し、力でねじ伏せたい」と力強く宣言した。
並の新人だったら“ビッグマウス”と受け取られるところだが、翌99年、松坂は怪物の異名どおり、初対決のイチローを3打席連続三振に打ち取るなど、リーグ最多の16勝を挙げ、入団会見で掲げたどちらの目標も文句なしの形で有言実行している。
一方、同じ“松坂世代”の一人で、98年の阪神のドラ1・藤川球児(高知商)も当時は松坂のような即戦力投手ではなかったものの、入団会見で大胆不敵な発言を口にしている。
10年後の未来図について聞かれた藤川は「そうですね。たぶん3回くらい優勝していて、1度は胴上げ投手になっています」とキッパリ言い切ったのだ。
これには野村克也監督も「ここにいる藤川君の両親は、育て方を間違ったというか、彼は野球選手でなくても大成しているんじゃないでしょうかね」と脱帽せざるを得なかった。
藤川は1軍定着に時間がかかったものの、2005年には登板80試合、46ホールドの好成績でリーグ優勝の立役者に。2025年も監督として選手時代を含めて通算3度目の優勝を実現した。
大胆発言といえば、1997年の阪神のドラ1捕手・中谷仁(智弁和歌山)も「ヤクルトの野村監督をギャフンと言わせたい」と当時全盛期だった野村ヤクルトへの挑発的な抱負が話題になった。
そして、入団2年目の99年に野村氏が阪神の監督に就任したことから、まるで運命の糸に導かれたような師弟関係がスタートする。
同年、1軍昇格を目指していた中谷は、同僚選手が投げた携帯電話が左目を直撃するアクシデントで一時失明危機に陥ったが、野村監督は投手としての再生も提案するなど、格別の温情を示した。さらに、2006年に楽天の監督に就任すると、金銭トレードで中谷を迎え入れ、09年にはキャリアハイの55試合に起用してくれた。
現役引退後、母校・智弁和歌山の監督に就任した中谷氏は、“ノムラの教え”を実践し、2021年夏の甲子園で全国制覇を果たした。
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