「家賃500万円を滞納」 逮捕された名投手「米田哲也」の極貧生活 選手時代の“豪快エピソード”も

スポーツ 野球

  • ブックマーク

 2025年3月25日、スーパーで万引きに及び、窃盗容疑で逮捕された米田哲也氏(87)。歴代2位の350勝、19年連続2ケタ勝利――日本プロ野球の歴史に名を刻む大投手が盗んだのは、2本の缶酎ハイだった。残念ながら晩節を汚すことになった名選手の過去と現在とは――(以下、「週刊新潮」2025年4月10日号をもとに加筆・修正しました)。

 ***

たった303円の缶酎ハイ

 報道によれば、米田氏は、尼崎市のスーパーマーケットで、350ミリリットルの缶酎ハイ2本を着衣に隠し、支払いをせずに店外へ。店長が声をかけると、逃げようとしたためもみ合いになり、米田氏は声を荒らげてつえで殴りかかろうとしたという。110番通報により警官が駆け付け、窃盗容疑で逮捕。缶酎ハイの代金は計303円だった。

“往年の名選手”が起こした事件として、あまりにイメージとのギャップが大き過ぎるために、ショックを受けている方も少なくないだろう。選手時代を知らない読者のためにも、その華々しい活躍と「昭和の大選手」らしい豪快なエピソードを振り返ってみよう。

 スポーツ紙デスクが解説する。

「鳥取出身の米田さんは、高校卒業後の1956年に投手として阪急ブレーブスに入団。現役22年間で歴代2位となる949試合に登板し、金田正一に次ぐこちらも歴代2位の通算350勝を記録しました。19年連続の2ケタ勝利は日本最長記録です。鳥取の砂丘で鍛えたというスタミナと剛速球、そしてフォークボールが売り物で、阪急の5度のリーグ優勝に貢献しました」

 阪急、阪神タイガース、近鉄バファローズと渡り歩いたのち、77年に引退してからは、

「阪神やオリックス、近鉄で散発的にコーチを務めるほか、野球解説者としても活動。78年に発足した〈日本プロ野球名球会〉の創設メンバーでもあり、2000年には野球殿堂入りを果たしていました」(同)

真夜中にコンドーム専用の自販機を探して…

 70年代に米田氏と飲み歩く仲だった元スポーツ紙記者が振り返る。

「米田さんは朝まで飲み明かしても、その日の登板試合では完封勝利を収めてしまう。いくら飲んでもまったく酔わず“ガソリンタンク”の異名を持っていました」

 スター選手だっただけに、艶聞にも事欠かない。ある晩、銀座のクラブで飲んでいたときのこと。

「米田さんは一人のホステスを気に入り、“今晩俺はこの女と寝るから、お前、今からコンドーム買ってこい”と私に命じました。当時は24時間営業のコンビニやドラッグストアなどない。真夜中の銀座界隈を1時間かけて、コンドーム専用の自販機を探して歩いた思い出があります。米田さんと私はあまりに飲み歩くので、球団から呼び出しを受けて、自重するよう注意されたこともあった」(同)

次ページ:型破りな指導

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。