34歳にして「3度目の日本新」! ロス五輪を視野に「大迫傑」が駆け抜ける“葛藤と挑戦”のマラソン人生
リーニンは年商6000億円を超える大企業
大迫は、早稲田大学時代に箱根駅伝で2年連続区間賞。1万メートルで学生記録、ハーフマラソンでジュニア記録を作るなど長距離の星と期待され、日清食品グループと所属契約を交わした。同時にナイキ・オレゴン・プロジェクトにも籍を置く異例の形だった。入社1年目の2015年、ニューイヤー駅伝でも区間賞を獲得したが、わずか1年で日清食品グループを離れ、ナイキとの専属契約の道を選んだ。日本にいれば、駅伝主体の競技ビジョンにならざるをえない。大迫はマラソンに主体を置く競技人生を選んだのだ。当時日本の陸上長距離界ではそれだけで衝撃的な選択だった。しかし、大迫は自らの選択が正しかったことをその後のマラソン人生で証明している。
2021年8月、一年延期された東京2020の男子マラソンで6位入賞を果たすと、引退を発表。しかし、2022年2月に現役復帰を表明し、パリ五輪の代表になった。パリでは先頭から後れ、13位と悔しい結果に終わった。そして、いまを迎えているわけだ。
大迫は、日本という風土で、社会で、マラソンの才能を持って生まれた。その自分が、どれほどの高みに到達できるのか。前例の少ないプロフェッショナルのマラソンランナーがどんな人生のゴールに到達できるのか。そこを見据えているのではないだろうか。
今回のニュースで、もうひとつファンを驚かせたことがある。それは大迫が選んだシューズであり、所属先の名前だ。大迫が履いていたのは、多くの一般ファンはどこのメーカーかわからないだろう、珍しいラインのマラソンシューズだった。所属先は「リーニン」とあった。すでに10月の東京レガシーハーフマラソンから大迫はリーニンに所属を変更しているが、多くの人が認識したのは今回だろう。
昭和のスポーツファンなら、李寧(りねい)の名を覚えている人も少なくないはずだ。84年のロス五輪、男子体操で、具志堅幸司、森末慎二らと金メダルを争った中国のエース。李寧は3個の金メダルを獲得し、「体操王子」と呼ばれ、国民的英雄となった。北京五輪で聖火の最終走者も務めている。その李寧が引退後に立ちあげたのが総合スポーツメーカー、英語読みでリーニンだ。いまや年商6000億円を超える大企業。
バドミントンなど、他種目で馴染みのあるファンもいるだろうが、マラソンでの実績はまだこれからだ。今年の東京マラソンで「リーニンのシューズを履いて走り、レース後に感想を発信してくれる選手には使用シューズを提供します」という独自のプロモーションを行い、マラソン愛好者の間では話題になった。数年前からシューズに参入したリーニンは、東京2020の男子1万メートル金メダリスト、セレモン・バレガも着用している。
大迫は、雑誌「Number」のインタビューに答えて、リーニンから熱心なアプローチがあったこと、ナイキでは自分はあくまで日本地域に限定したアイコンだが、リーニンでは世界マーケットで期待される選手でありえる、その可能性を感じていると話している。
これからの数年間で、彼は何者になるのか。大迫傑の新しい挑戦が、バレンシアから始まった。
[3/3ページ]


