オーナーが知らなかった“極秘裏”の交渉も…誰もがあっと驚いた「プロ野球史上最大級の大型トレード」
近年のトレードは1対1、または1対2の交換というパターンがほぼお約束になりつつあるが、かつては両チームとも2人以上の選手を出し合う総勢5人、6人規模の大型トレードも珍しくなかった。誰もがあっと驚いた世紀の大型トレードを振り返る。【久保田龍雄/ライター】
大型トレードの妙味
まず1975年オフ、阪神と南海との間で、江夏豊、望月充、佐藤昭治と江本孟紀、長谷川勉、池内豊、島野郁夫の3対4のトレードが成立した。
73年にリーグ最多の24勝を挙げた江夏はその後、左腕の血行障害が深刻化し、74、75年のいずれも12勝に終わっていた。また、ワンマンな性格から、吉田義男監督との関係も悪化し、チーム内でも孤立していたことから、球団側は「今が売りどき」と判断したようだ。
一方、南海・野村克也監督も、後の沙知代夫人のチームへの介入に対し、「公私の区別をきっちりつけてほしい」と直言する江本を煙たがり、両監督の水面下の交渉で、エース同士の交換話がまとまった。
だが、野村監督は江夏獲得を喜ぶあまり、親しい記者に話を漏らし、年末のスポーツ紙に「江夏放出」とすっぱ抜かれてしまう。吉田監督が「へえ~、知りませんでした」としらばくれたことから、「オレのトレードを監督が知らなかったなんて、そんなバカなことがあってたまるか」と江夏が態度を硬化させるひと幕もあった。
翌76年1月、前出の3対4のトレードが発表されたが、31歳の外野手・佐藤は「他球団で再出発する自信がない」と南海への移籍を拒み、そのまま引退、最終的に2対4のトレードになった。
南海でリリーフに転向した江夏は、後に広島、日本ハムで計3度の優勝に貢献し、江本も阪神移籍後、4年連続二桁勝利を記録したのは、ご存じのとおりだ。
また、南海時代に1軍の出場機会に恵まれなかった池内も、79年に13セーブを挙げるなど、虎のリリーフエースとして長く活躍した。主役のみならず、脇役も光彩を放つことも、大型トレードの妙味と言えるだろう。
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