オーナーが知らなかった“極秘裏”の交渉も…誰もがあっと驚いた「プロ野球史上最大級の大型トレード」

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両チームのどちらにもプラスに

 それから3年後、阪神は再び看板選手の放出に踏み切る。

 球団史上初の最下位に沈んだ1978年オフ、10月に就任した小津正次郎球団社長は、チームの大改革を断行するため、ドン・ブレイザーを球団初の外国人監督に迎え、主砲・田淵幸一の放出に踏み切った。

 トレードの相手は、クラウンを買収し、所沢を新本拠地とする新球団・西武だった。

 センターラインの強化を図りたい阪神に対し、西武も球団の知名度を上げるために全国区のスターが欲しいという点で思惑が一致し、田渕、古沢憲司と竹田和史、若菜嘉晴、真弓明信、竹之内雅史の2対4の交換トレードが成立した。

 そして、11月16日午前1時半、和歌山のゴルフから帰ってきたばかりの田渕は電話一本でホテル阪神に呼び出され、トレードを通告された。

「西武へ行けと言われた。それもいきなりだ。こんな時間に勝手に呼び出しておいて、人をバカにしている。これが10年間、阪神でやって来た者への仕打ちなのか。情けないよ」。

 報道陣の前で怒りをぶちまけながら悔し涙を流した田渕は、一時は引退も考えたが、1週間後に西武・根本陸夫監督と会い、ようやく移籍を了承した。

 田渕放出後には、ドラフトで指名した江川卓と巨人・小林繁の三角トレードを実現させる剛腕ぶりを発揮した“小津の魔法使い”と、西武、ダイエー時代を通じてドラフトやトレードで辣腕を振るった“球界の寝業師”の合作とも言うべき大型トレードは、両チームのどちらにもプラスになった。

 田渕は82、83年と西武の2年連続日本一に貢献、阪神移籍組も、真弓が85年に猛虎打線の1番打者としてV戦士になったのをはじめ、若菜、竹之内も短期間ながら活躍した。

大型トレードならではの人間ドラマ

 前出の根本監督は、ダイエー監督時代の1993年オフにも、世間をあっと驚かせる大型トレードの仕掛け人になった。

 同年11月16日、ダイエー・中内功オーナーは、昼のNHKニュースで、西武・秋山幸二、渡辺智男、内山智之とダイエー・佐々木誠、村田勝喜、橋本武広の3対3のトレードが成立したことを報じられたのを見て、ビックリ仰天した。事前に何も知らされていなかったからだ。

 直後、根本監督から連絡が入り、「事後承諾になってしまった。このトレードは、事前に漏れるとつぶれる恐れがあったからだ」(浜田昭八、田坂貢二著『球界地図を変えた男・根本陸夫』日経ビジネス文庫)と遅ればせながら事情説明があった。

 村田はチームの若きエース、佐々木も走攻守三拍子揃った“最もメジャーに近い選手”とあって、事前に相談すると、反対されたり、他球団に話が漏れる恐れがあった。そんなリスクを避けるため、隠密行動で一気に話をまとめてしまうとは、まさに寝業師の本領発揮だった。

 地元九州出身のスターとして白羽の矢が立てられた秋山は、突然のトレード通告に「トレードはまったく頭になかった。王(貞治)さんや長嶋さん(茂雄)みたいに1球団で最後までやれたらと思っていたけど……」と戸惑うばかり。

 一方、完成した新居に1週間後に引っ越す予定だった佐々木も「ショックは大きいですね。でも、これが球界だから仕方ない」とコメントした。

 結果的に2人とも新天地で優勝に貢献し、ソフトバンクの監督も務めた秋山は、今では“ミスター・ホークス”のイメージのほうが強い。

 その一方で、「この先10年近く西武の投手陣を支えることが可能」と期待された村田が在籍2年でわずか4勝に終わるという誤算も。また、「球団に呼び出されたときに、『クビかな?』と思った」という橋本が6人の中で最も長く現役を続け、98年には胴上げ投手になったのも、大型トレードならではの人間ドラマである。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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