11年かけて新三役昇進、優勝2回 “41歳”の最年長関取「玉鷲」が若々しい相撲を取り続ける秘密は「お菓子作りと手芸」【令和の名力士たち】

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 東西横綱が揃い、若手力士の躍進もめざましい大相撲。令和の相撲人気は高止まりを続けているが、いつの世も真に人を魅了するのは、力士たちの磨かれた技と個性だ。ノンフィクションライターの武田葉月氏が、注目すべき現役力士たちを紹介するシリーズ「令和の名力士たち」。第5回は連続出場記録で2026年度のギネスブックに掲載された最年長関取、41歳の玉鷲が登場する。

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21歳年下力士との一番

 令和7年大相撲九州場所は、千秋楽に横綱・大の里が急遽休場。横綱・豊昇龍と関脇・安青錦との優勝争いに注目が集まる中、後半戦の最初に珍しい一番が組まれた。

 関取最年長41歳の玉鷲と、関取最年少20歳の藤ノ川の取り組みである。

 両者の年齢差は、じつに21歳。史上、もっとも年齢が離れている関取同士の対戦は、立ち合いから終始、41歳の玉鷲の突き押しが冴えた。177センチ、120キロの小兵の藤ノ川は、この場所初日から5連勝と好スタートを切った元気者。それでも玉鷲は、激しい押しに徹し、冷静に相手を押し込んで7勝目を挙げた。

 取り組み後は、

「相手に、強烈に『玉鷲』という力士の印象を付けておきたかった。若い芽は早めに潰さなければいけない」

 と、厳しく言い放った後、

「まぁ、この気持ちを大切に土俵に立ち続けたいよね」

 と、余裕の笑みを見せた玉鷲。藤ノ川が生まれた時、玉鷲はすでに三段目の力士だった。そのプライドは崩せない。

 この場所は、惜しくも1点の負け越しに終わったが、玉鷲は15日間を終えた疲れも見せず、福岡国際センターを後にした。

力士の知り合いは誰一人いなかった

 モンゴル・ウランバートル出身の玉鷲(本名、バトジャルガル・ムンフオリギル=愛称オギ)は、子どもの頃から体が大きかったものの、スポーツにはあまり興味のない少年だったという。

 オギ少年が目指していたのは、ホテルマン。高校卒業後は、モンゴル科学技術大学に進んで、勉強に励んでいた。

 日本や大相撲に関して、興味が出てきたのもこの頃だ。実姉が日本に留学して、東大大学院に通っていたこともあって、「一度日本に行ってみたい」と夢が広がった。

「大相撲に興味があると言っても、力士の知り合いなんか、誰一人いなかったんです。それで、姉と一緒に電車に乗って両国駅で降りて、たまたま見かけた力士の後を付いていったんです(笑)」

 着いた先は、モンゴル出身の鶴竜(=当時、現・音羽山親方)が所属する井筒部屋だった。さっそくオギ少年は、鶴竜に「力士になりたい」と相談する。

「その時、『外国出身の力士は1部屋に1人しか認められない』なんてことは知らなかった(笑)。つまり、井筒部屋には入れないということを、丁寧に説明してもらいました。それで、モンゴル人力士第一期生の旭鷲山関を紹介してくれたんです」

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