11年かけて新三役昇進、優勝2回 “41歳”の最年長関取「玉鷲」が若々しい相撲を取り続ける秘密は「お菓子作りと手芸」【令和の名力士たち】

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兄弟子たちと英語の単語で会話

 旭鷲山が、当時、外国出身力士のいなかった片男波部屋へ話をつなぐと、オギ少年の入門話はトントン拍子に進んだ。

 2003年秋、来日したオギ少年は外国出身力士の慣例により、正式入門までの数カ月、部屋で研修を受けることになった。基礎運動に明け暮れる日々に将来が不安になることもあった。しかし、モンゴルを離れる時に、

「大学で勉強をしたつもりで、最低4年間はがんばろう!」

 と自分に誓ったことを思い出して、奮起。平成16(2004)年初場所、初土俵を踏むこととなった。四股名の「玉鷲」は、横綱・玉の海などを生んだ片男波部屋伝統の「玉」の字と、モンゴルを象徴する鳥「鷲」を合わせたものだ。

 念願の大相撲力士になった玉鷲だったが、相撲部屋での生活は戸惑うことばかりだった。

「日本語がまったくわからないのが、一番困りました。部屋にはモンゴル人は自分だけなので、最初は兄弟子たちと英語の単語で会話をしていたくらい(笑)。日本語を理解しないと、稽古場で何を注意されているのかもわからない」

 さらにつらかったのは、師匠から「入門から3年間は、他の部屋の力士と仲良くしないように」と言われていたこと。玉鷲の相撲に対する資質を早くから見抜いていた師匠は、あえて厳しく接することで、日本流の生活、慣習を覚えさせようとしていたのだった。

外国出身力士の「最長スロー記録」

 厳しい稽古にも耐えて、入門から1年で幕下に昇進したものの、その後、低迷。相撲の「型」がハッキリ決まっていないことが原因だったが、師匠から「押し」を指導された玉鷲は、平成20(2008)年初場所、新十両に昇進する。

 同年秋場所では、新入幕も果たしたのだが、1場所で十両へUターン。幕内に復帰してからも、幕内中位から下位をウロウロする、「まったく目立たない力士」だった。

「幕内力士になって、モンゴルのテレビでも自分の相撲が映されるようになって、満足していたのかもしれないね。酒席でハメを外したり、また十両に陥落したり……」

 ようやく三役に昇進したのは、平成27(2015)年春場所だった。66場所(11年間)かけての新三役昇進は、外国出身力士として、「最長スロー記録」だった。

 平成29(2017)年初場所から「三役の常連」となったのは、30歳から気持ちを入れ替えたからだ。「もっと強くなる!」と信じて、懸命に稽古に励む日々が続いた。

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