なぜ松村沙友理の「おめでた婚」は祝福されたのか 「ぶりっこ」と沈黙戦略が生んだ最強の結婚報告
批判を招いたPerfume・あ~ちゃんの「ファン婚」との違い 語り過ぎないという戦略
もう一つ見逃せないのが、松村さんの徹底した「語らなさ」である。結婚相手については過去に週刊誌に撮られた相手といわれているものの、松村さん自身の口からは職業も、一般人かどうかも、ファンかどうかも発信されていない。「さゆりんご姫の王子、洋梨王子です」と、見事なぶりっこ芸で煙に巻くという高度な対応を見せている。
これは情報隠しというよりも、「物語を他人に委ねない」という、極めて強い主体的判断だったといえるのではないか。というのは近年、「一般男性」「ファン」「普通の会社員」という言葉が、かえって炎上の引き金になるケースは後を絶たない。夢を与えたつもりが、かえって裏切りと受け取られることもある。
例えば松村さんと同じく、プロフェッショナルな意識とサービス精神の持ち主であるPerfumeのあ~ちゃんは、結婚報告で物議を醸した。デビュー以来スキャンダルらしいスキャンダルもなく、30代半ばまで第一線でグループ活動を継続。お相手は「一般男性」「昔からの友人」で、なおかつ「自分のファン」。アイドル文化が長年にわたって温め続けてきた「ファンにとっての夢の完成形」に、限りなく近いストーリーだったはずだった。
しかし発表後に明らかになった「有名企業の御曹司」という相手の属性が、すべてを反転させてしまったのだ。問題は、結婚した事実ではない。「ファンと結婚した」というロマンチックな言葉と、「実は超富裕層」という現実の情報との落差こそが、人々に違和感を生んだのである。
松村さんは、その轍を最初から踏まなかった。松村さんとあ~ちゃんを分けたのは、清純度でも、格でも、人気でもない。結婚相手の報告の仕方だ。女性アイドルの「できちゃった婚」はもはや最大の地雷ではなくなり、「“ファンに見せる夢”の語り方」の方が、よほど慎重さを求められる時代になったのだと、賢い松村さんは気付いていたのだろう。
女性タレントの結婚は「清潔さ」ではなく「文脈」で評価される時代に入った。完璧に見える条件よりも、「そこに至るまでの過程」が重視される。松村さんの結婚報告がうまくいった勝因は、「キャラを変えなかったこと」「体で信用を積み直したこと」「語り過ぎなかったこと」。この3点に尽きる。祝福される結婚とは、清らかであることでも、失敗がないことでもない。過去と現在の選択が、一本の線でつながって見えること。それこそが、いま最も強い「祝福条件」なのだ。ニュートンの林檎よろしく、女性アイドルの結婚史を変えた「さゆりんご」を、心から祝福したい。






