雅子皇后、62歳誕生日で「皇室外交」本格復帰へのプロローグ 新年に「高市首相」との対面を控え「女性活躍社会」実現へ意欲も
長官発言の不用意さ
ご健康問題が発覚した直後の11日、湯浅利夫宮内庁長官(当時)が「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、3人目(筆者注=のお子さま)を強く希望したい」と述べたことで、雅子さまの外遊をめぐる軋轢の存在が取りざたされるようになる。
2004年5月10日、天皇陛下は皇太子としてスペインなど欧州3か国を歴訪されるのを前にした記者会見で「雅子にとっても(この訪欧は)貴重な機会だったのですが、それが失われ残念に思います」と述べた上で、こう述べられた。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
これが、いわゆる人格否定発言だ。このご発言について、湯浅長官は「細かいことを言うことは差し控えたい」と前置きしながらも「お世継ぎ問題について過度に注目が集まっている」と述べ、雅子さまにお子さまを巡って周囲からのプレッシャーがあったことを暗示した。
さらに宮内庁の林田英樹東宮大夫(同)は7月30日、定例の記者会見で「適応障害」という雅子さまの病名を公表。「外国訪問ができないことがストレスなのでは」と問われると「それだけが原因ではない」と、遠回しながら原因の一つであることを認めた。
雅子さまの療養生活は、既に22年間に及んでいる。この間、旧ソ連大使館で小和田恆氏の部下だった野村一成氏が、東宮妃(皇太子妃)だった雅子さまを支える東宮大夫に就任。ご公務ではない、ご療養目的のオランダご訪問を2006年に実現させた。また雅子さまは13年にオランダ国王、15年にはトンガ国王の即位式などにご体調を整えて出席されている。
お代替わりによって皇太子妃から皇后へとお立場が変わると、22年に英国のエリザベス女王の葬儀に出席されたほか、招待に応えて英国とインドネシアを立て続けにご訪問。国際親善のための海外渡航は実に20年ぶりとなった。宮内庁元幹部は「憲法第4条の第1項には『天皇は(筆者注=中略)国政に関する権能を有しない』と定められていて、皇室は原則として政治にタッチしないことになっているので、宮内庁では皇室外交という用語は採用していません」とした上で、こう指摘する。
「まだご快復(回復)の途上とはいえ、いわゆる皇室外交の舞台へ復帰を果たされたことの意義は大きいと思う」
このことが、宮内庁の内外で「雅子さまの完全復活は近いのではないか」との観測を生んでいる一因であることは間違いない。
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