「あなたの写真を送ってください」ジョン・レノン銃撃犯から戦慄の手紙に「怖かった」「やばいな」

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交流は一度、中断

 1986年7月12日付の4通目。刑務所でチャップマンと会う約束を取り付けた後に届いた手紙だった。「どうかあなたの写真を送ってください。ありがとう!」と書かれてあった。

「一体どういう意味なのか、もう怖かったですね。私はまだ30代、ニューヨークに一人で住み始めたばかりでした。ちょっとやばいなと思って、このまま続けられないなと判断しました。それで集めた資料や記録を全部箱に入れて棚の奥にしまったんです」

 それから30年以上が経過した。

 青木氏が、再びチャップマンの追跡を始めたきっかけは、青木氏の夫ピート・ハミル氏が故郷ブルックリンに引っ越したいと言い出したことだった。膨大な資料を整理中、ピート宛のジョン・レノンの手紙を発見する。

「ジョン・レノンからピートに宛てられた手紙がポロっと出てきた。これって不思議なサインなのかなと思って……。よく考えたら、取材を諦めるのはもったいないかな、もう一度コンタクトしてみようかと思ったんです」

 2018年、青木氏はチャップマンに再び手紙を送った。「この時も返事が来るかどうかわからなかったのですが」と振り返るが、翌19年には、チャップマンの妻グローリア氏からメールが届く。

「もうびっくりして、飛び上がりましたね。まさか、メールが来ると思いもしませんでした。刑務所に『招待します』という内容でした。以前は自分ひとりで行くことは怖かったのですが、今回はグローリアが一緒なので、大丈夫かなと思い会うことを決めたんです」

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 第2回【ジョン・レノン銃撃犯は何を語ったのか 刑務所で緊迫の対面…「陰謀論」を一蹴した一言】では、青木氏がチャップマンと対面した時のことを語っている。

青木冨貴子(あおき・ふきこ)
1948年、東京生まれ。作家。1984年渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。1987年作家のピート・ハミル氏と結婚。著書に『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』『たまらなく日本人』『ニューヨーカーズ』『目撃 アメリカ崩壊』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―』『昭和天皇とワシントンを結んだ男――「パケナム日記」が語る日本占領』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。ニューヨーク在住。

デイリー新潮編集部

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