「あの事件は俺がやった」自称犯人まで現れた「3億円事件」の闇…伝説の刑事が“サンケイ新聞の購読者”を当たった理由

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犯人はサンケイ新聞読者?

 地紋メーカー3社、新聞関係24社を当たったところ、この地紋はサンケイ新聞(当時)のもので、昭和43年12月6日朝刊の婦人欄、「年末年始の食品情報」の記事であることまでが分かった。

〈だが、そんだけじゃ、どの地域に行った新聞かは、わからないんだ。それで、化学検査所の小林侑技師(のち主査)に調べてもらった。この人は熱心な人だよ。新聞に使う紙と、トラメガについていた紙の質を、全部、調べ上げたんだ。そして、トラメガにくっついていた紙は、愛媛県の伊予三島市(現・四国中央市)にある大王製紙のつくった“大王紙”だってことを、突き止めてくれた〉(同)

 さらに捜査を進めた結果、この紙を使った当日の新聞は神奈川、埼玉、東京・多摩地区(国分寺、国立、立川、日野、豊田)であることまでが分かった。あとはサンケイの販売店に行き、当時の購読者リストを当たることになるのだが……。

〈三多摩のサンケイ新聞の購読者リストを頼りに、本部員に当らせてみたよ。やってみると、なんてこたあねぇ、機捜の刑事さんたちが、すでに当たってることがわかったんだ。府中署の捜査本部じゃ、大王紙の行ってるサンケイの購読者リストをつくってくれってだけ頼んだんだが、そこは刑事だよ。リストづくりだけじゃなく、購読者ん中に不審なものや年齢の該当するものがいりゃ、それを当たってたんだ。(略)それで、この捜査は、いちおう、打ち切ったんだ〉(同)

 残念ながら、このルートからも、犯人へたどり着くことはなかった。事件発生から60年の節目まで……あと3年である。

【第1回は「“4523人分の冬のボーナス”が一瞬で奪われた「3億円事件」捜査の裏側…「ジュラルミンケースに万札が並んでいた」ワケではなかった!」事件の与えた衝撃とは】

デイリー新潮編集部

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