崩壊が進む「軍艦島」を放っておくとこうなる…すぐ近くにある「100年後の軍艦島」の知られざる姿

国内 社会

  • ブックマーク

「日本で中ノ島だけ」の炭鉱施設も

 そんな中ノ島も軍艦島が閉山すると放置され、現役当時の炭鉱施設も新たに作られた施設も人知れず廃墟化していった。

 稼働していた140年前、海岸沿いに築かれた人工地盤はほとんど崩れ落ち、その上にあった工場施設などは建物跡を確認するのも困難だ。目立つのはどこかから落ちてきた薄い赤レンガの構造物。やはり潮風と波の破壊力は半端ではないことを改めて認識させられる。高台にある火葬場と公園はすっかり緑に飲み込まれてしまった。

 黒沢氏は「手を入れなければ、軍艦島も100年後にはこうなります」と言う。中ノ島は「100年後の軍艦島」の姿なのだ。

 なお黒沢氏によれば、先の薄いレンガは幕末〜明治初期に長崎で製造された「蒟蒻レンガ」と呼ばれるもので、長崎の一部でしか見られない。「軍艦島などにも残っていますが、形ある蒟蒻レンガ炭鉱施設がここまで残っているのは中ノ島だけです」という。

 また火葬場の近くには、三菱の経営下になる前、1880年(明治13年)に開削された竪坑跡も残っている。入気、人員昇降、揚炭の坑と、排気用の坑が並列している独特なものだ。

「竪坑がこの形で現存するのは、国内でおそらく中ノ島だけだと思います。世界遺産の『明治日本の産業革命遺産』に入っていないのが不思議なぐらい、貴重で重要な遺構です」(黒沢氏)

 近年、長崎市は、軍艦島に加えてこの中ノ島、発電所があり炭鉱でもあった高島の炭鉱3島をセットで整備する計画を進めている。

 この3島について「軍艦島の住居施設を少しでも多く後世に残すために」とツアーを実施する人も現れた。日本各地で産業遺産の保存と観光活用を進めるJ-heritageの前畑洋平氏である。

 前畑氏はこう語る。

「軍艦島は住居施設が集合しているダイナミックな景色に価値があると思っています。しかし今後、実際に残りそうなのは、端島神社の1号棟と最優先での補修が決まっている3号棟ぐらいでしょう。あとは予算や劣化度合いから残せなくなりそうなんです」

 なんと、現在の予算規模では、この2棟以外は残らない可能性が非常に高いという。軍艦島が隣の中ノ島のような状態に近づいてしまうわけだ。

「そこで、少しでも観光客を長崎市に呼んでお金を落としてもらい、また炭鉱がどれだけ日本のためになっていたかを広く理解してもらって、建物保存の輪を広げたいと3島を巡るツアーを企画しました」

 軍艦島の住居施設を守ろうと考えたのは、本物を見ることで時代を超えて共有できるものがあるからだという。

「住居跡は日本の近代化を支えた人たちの痕跡が山ほどある貴重な場所です。僕は軍艦島の住居跡に取材で入った時、そこに残された酒の瓶、雑誌や新聞などを見て、自分たちと変わらない人たちが戦後の日本の躍進を支えていたのだと実感でき、力をもらいました。時間の流れを超えて感じることができたのは、本物の住居だったからです。この先もこのことを感じてもらえるように、住居施設を少しでも多く残していきたいんです」

 中ノ島も含めた3島にしたのは、他のツアーとの差別化ももちろんあるが、「黒沢さんから中ノ島にも貴重な遺構があり、ツアーで行く価値があると聞いたこともきっかけです。そしてしっかり保存をしないと軍艦島は将来こうなると視覚的に理解してもらうためでもあります」

 ツアーを企画・運営するのは、前畑氏のJ-heritage と地元・長崎市南部などで町おこしをしている安達孝紀氏らによる「T-PROJECT」。すでに11月初旬に2日間にわたってモニターツアーが開催され、黒沢氏がガイド役を務めた。次回は2026年春頃を予定しているという。

華川富士也(かがわふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町、昭和ネタなどを得意とする。シリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。