「部屋を見回しても姿が見当たらず、浴室の扉を開けると…」 一周忌を迎えた「中山美穂」さん 事務所社長らが明かしていた“発見時の様子”とスターの素顔
あの「突然の報せ」から早1年――。女優・歌手の中山美穂さんが急逝したのは、2024年12月6日のことだった。まだ54歳。誰もが知るスターの不慮の死は、年の瀬の支度に入ったばかりの世間を大きく驚かせたのである。
【写真を見る】「吸いこまれそうな目力!」 セーラー服を着た15歳の中山美穂さん
「週刊新潮」では、当時、多数の関係者に取材し、彼女の人生と最期の姿について詳らかにしている。複雑な家庭環境に育ち、14歳でドラマに初出演、スターダムに駆け上がった中山さん。「月9」でヒロイン役を務めること歴代最多、他方で、私生活では数多の恋愛に彩られた。一周忌を機に当時の記事を再録し、儚く散ったスターを追憶してみよう。
【前編】では、遺体の第一発見者となった事務所社長が明かした最期の姿や、彼女を古くから知る人物たちに聞いた、中山さんの素顔について報じる。
【前後編の前編】
(「週刊新潮」2024年12月19日号記事を一部編集の上、再録しました。文中の年齢、役職等は当時のものです)
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1時間待っても出てきません
救急車がサイレンを街中に響かせ、東京・渋谷区内の7階建てビルの前に到着した。時間は12月6日正午ごろ。5階までは芸能事務所や撮影スタジオが入居しているが、救急隊員は6階へ。近隣住民は商業ビル然とした外観からそうとは知る由もなかったが、部屋の主は中山美穂さんだった。
中山さんの所属事務所で、バーニングプロダクション傘下の「ビッグアップル」社長、鈴木伸佳氏が当日の様子を語る。
「美穂は夕方から大阪市内でのコンサートを予定していました。担当の女性マネージャーと品川駅で待ち合わせており、運転手役の別の社員が朝9時に自宅まで迎えに行っていたのです。ところが、社員から私に電話があって“1時間待っても出てきません。電話も鳴りっぱなしです”と」
時計の針は午前10時を少し回っていた。
「心配して、自分も自宅に向かいました。ただ、あそこは特殊でね。エレベーター専用の鍵がないと上に行けない仕組みです。それで、美穂が合鍵を預けていた知人女性に鍵を借りねばなりませんでした。美穂は猫を2匹飼っていて、遠征の時などに代わりに餌をあげてもらうため、鍵を預けていたんです」(同)
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