「部屋を見回しても姿が見当たらず、浴室の扉を開けると…」 一周忌を迎えた「中山美穂」さん 事務所社長らが明かしていた“発見時の様子”とスターの素顔

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部屋に足を踏み入れると……

 担当者が鍵を携えて自宅前に戻ったのが11時半ごろ。鈴木氏は担当者と二人でワンルーム・72平方メートルの部屋に足を踏み入れた。

「ひと通り部屋を見回しても美穂の姿が見当たらず、 もしやと思って、浴室の扉も開けてみたんです」

 そこに彼女の姿があった。

 全国紙の社会部デスクが言う。

「救急隊員が現場に到着した時点で、すでに死後硬直が始まっていました。隊員は蘇生不可能な“社会死”と判断。病院への搬送は行っていません。警視庁は当初、自殺および事件の線も含めて捜査しましたが、ご遺体には目立った外傷もなかった。解剖の結果、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものであると結論付けられています」

複雑な生い立ち

 主役を演じた恋愛映画「Love Letter」(1995年、岩井俊二監督)がアジア圏で人気を博した彼女の訃報は、中国や韓国でも大きく取り上げられた。

 生まれは1970年3月1日、長野県。生い立ちは複雑で、幼少期に両親が離婚。母親に伴われて3歳のとき、まだ生後間もない妹の忍(51)とともに上京した。一時期までは都内の伯母夫妻の元に身を寄せる生活を送ったという。

 中山さん自身、2009年に刊行したエッセイで、こんなふうにつづっている。

〈母子手帳には母の名前しかなかった。戸籍などを見ても現実と同じように実父の名前はない〉

〈母は実父のことに関して、私が幼いころに一度だけ、亡くなってしまった、と言ったきりなにも教えてはくれませんでした。(中略)年月がたち、パリに来てくれた母が、これまでいっさい話してくれることのなかった私の父親のことを初めて少しだけ語ってくれました〉

 小4の時分に母親が再婚し、小中学校時代に数度、転校も経験している。

「初回放送前日、“見てくれますかね”と心配していた」

 芸能界入りのきっかけは、中1の春、原宿でスカウトされてモデルとなったこと。

 転機は中3の3学期に訪れた。85年1月8日、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役で女優デビューを果たしたのだ。

 中山さんの初代マネージャーでビッグアップル創業メンバーの一人、岡嶋康博氏が述懐する。

「作品は思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマでした。初回放送の前日、彼女が“見てくれますかね”と心配していたのを覚えています。初回放送後、二人で街を歩いていると“あれ、のどかじゃないの”という女子中高生の声が聞こえてきて、私たちは驚きました。そんなに反響があるなんて、思ってもいなかったのです」

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